孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

電車に飛び込んで「自殺」しても 時間が遅れて迷惑がる人が多い あまりにも冷酷な社会

自殺者の数が、2万人を超えているが、実質的には、もっと多いと思う。最近も、ダチョウ俱楽部の上島竜兵さんが自殺した。上島竜兵さんは、亡くなる直前まで、芸能活動をしていたのに、周囲の人間がその予兆に気づかなかったのかと残念で仕方がない。自殺する原因は、様々である。年齢や社会的環境などによって異なってくるので、非常に難しい問題だと思う。ただ一つ言えることは、自殺する人は、普通の精神状態ではないほどに追い込まれていることだ。心身ともに健全な状態であれば、「自殺」することに恐怖感を抱くだろう。死を選ぶ方が、楽であるという思いに駆られるのは、やはり相当つらい思いをしているはずである。子供の自殺が昔から絶えることなく起きているのは、子供にとって「学校空間」が全てだからではないだろうか。友達から、いじめられるだけならまだ耐えられる。しかし、「友達である」と思っていた子が、いじめグループに加担し始めた場合の絶望感は、筆舌に尽くし難いものだと思う。嫌な奴のいじめならまだしも、信じていた人間に裏切られた子供は、もうどこにも居場所がないと感じてしまう。子供のいじめの形態は、時代と共にますます陰湿化している。暴力的ないじめは少なくなってきた。ネットを使った巧妙ないじめは、大人社会の縮図でもあり、学校の先生だけでは対処できない問題を孕んでいる。子供が自殺すると、すぐに「心のケア」の必要性を強調して、カウンセラーなどの要請をする。私は、常々あまり意味のないことだと感じている。「心の専門家」などと称する人たちに、いったい何ができるのか甚だ疑問である。精神医学、心理学の知識だけで、人を救うことができるだろうか。やはり、自殺する人を思い留まらせるのは、親身になってその人の訴えを聞いてやることだと思う。私が、一番腹が立つのは、電車に飛び込んで自殺する人に対して、舌打ちをする人たちだ。「こんな時に自殺するなよ」と平気で言う人があまりにも多い。自殺する人間を冒瀆する以外の何物でもない。他者の痛みに鈍感で不寛容な社会では、自殺者は、増えるばかりだと思う。