孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

明石家さんま 箸袋にサインの話は自分を美化する ナルスシシズム以外の何物でもない 井筒和幸監督が毛嫌いするのも納得

私は、明石家さんまの笑いが嫌いだ。理由を説明しろと言われたら困るが、私の感性に合わないからだ。明石家さんまの笑いには、作為が感じられる。芸人だから、計算しても良いが、やはり天然の要素が圧倒した人の笑いの方が、面白いと思う。明石家さんまが、自分大好きな、ナルシストであることは画面から伝わってくる。自分の笑いは、最高であるという過剰な自信は、見ていて腹が立つ。大御所である明石家さんまに、「いじってもらう」ことが芸人としてのステイタスになっているが、いかかがものかと思う。明石家さんまの自分大好きエピソードに、割り箸の袋にサインをしたというものがある。「明石家さんまのコンプレくすっ杯」という番組で以前語った。割り箸の袋に小さな男の子が、サインを求めた。その時、明石家さんまは、「失礼な奴やなあ」と思ったが、渋々サインには応じた。その出来事から、20年後、男の子が立派なサラリーマンとなって明石家さんまと再会する。男の子は、明石家さんまからサインををしてもらった箸袋を大事に保管していた。そして、常に、持ち歩く財布に箸袋を入れて宝物のように持ち歩いていたというものだ。このエピソードの真偽の程は分からない。仮に本当の話であったとしても、自分が「いかにも良い人である」ということを公共の電場を使って言うだろうか。ここに、私は、明石家さんまの嫌らしさを感じてならないのだ。このエピソードを単純に受け取って、神対応など明石家さんまを持ち上げる人は、余程のお人好しに違いない。実際に、箸袋にサインを求められて、サインをしたなら、黙っているはずである。それを「自分はこれだけキャパシティの大きい人間です」と吹聴するのは、野暮なことである。たいていの芸能人とういうものは、テレビの印象と実生活が違う。良い人のイメージで通っている芸能人が、裏の顔を持っていたり。井筒和幸監督は、明石家さんまを毛嫌いしている。何十年も前に、自分の映画作品に、明石家さんまを出演させた時の態度が気に食わなかったようだ。人間相性があるから、明石家さんま井筒和幸監督は合わなかったと言えばそれまでだが。私は、井筒和幸監督の人間に対する見方に与する。井筒和幸監督は、見た目とは裏腹に繊細で真面目な人である。その井筒和幸監督が、明石家さんまを毛嫌いするのは、最もだと思う。