孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

要友紀子 「セックスワーカー」を支援の一方「一般市民は、生でやりまくっている」というおかしな論理

今回の参議院選挙で、立憲民主党内では、ある候補の公認を巡って党内で反発が出ている。その人の名前は、要友紀子という。要友紀子は、20年以上「セックスワーカー」の支援を続けて、性産業で働く人の健康と安全のために活動する団体「SWASH」の代表を務めている。著作もあり、性風俗で働く女性を擁護し続けてきた。これだけ聞けば、正義感の強い人のように思えるが、どうもそうではないように思えてならない。2年前のツイートで次のように発言している、「重要なのは、ゴムフェラを義務づけるのではなく、生フェラでも、ゴムフェラでも、働く人が選べるようにすることです。性感染症検査の考え方と同じ。生でやりまくっている一般市民の人々のセックスに対して義務付けない事を、セックスワーカーにだけ義務づけるのは、差別的なので、重要なのは、選択できること」。一体正気で物を言っているのか疑いたくなる珍発言である。「生でやりまくっている一般市民」とまるで人の性生活をすべて知悉しているかのような論調は、余りにも独善的でおかしいものである。一般市民とセックスワーカーという二項対立の考え方も、旧態依然としている。何故なら、今や誰もが、安易に「セックス産業」に従事する時代に突入したからだ。女子高校生までもが、遊び感覚で、自分の体を売るようになってきた。かつては、「苦海に身を沈める」という言葉が象徴したように、貧困で、仕方なく「性風俗」の世界に足を踏み入れなければならない女性は、少なからず存在した。しかし、現代ではそうしたことはほぼ皆無に近い。短時間で、稼げるから、「ホスト」と遊びたいからなど不純な動機で働いている者が大半ではないだろうか。それにも関わらず、フェミニストたちは、「セックスワーカー」は社会の最底辺で生きている、可哀想な存在という事実誤認を主張する。要友紀子は、「買春肯定論 売る売らないは、ワタシが決める」という本を書いている。しかし、セックスワーカーのあるべき姿として「買春合法化」という言葉を使ったわけではないと言っている。全くの論理矛盾である。要友紀子に限らず、フェミニストの詭弁は、非常に質が悪いように思えてならない。