孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

「共産党」を小馬鹿にする人があまりにも多い 一番まともな政党 私は断固「共産党」を支持する

共産党」を馬鹿にする人があまりにも多いのは嘆かわしいことだ。そうした風潮は、戦前からずっと続いているのだと思う。「共産党」は、警察庁公安調査庁の監視対象である。しかし、戦後わずかの時代ならいざ知らず、令和の時代において、共産党を暴力革命などと結び付けるのは、時代錯誤も甚だしい。ただ、警察官の採用においては、身元調査を徹底的にしていると思う。そして、警察官になれば、「共産党」を悪視するような教育を施す。共産党の関連団体である「日本国民救援会」は、戦後から現代に至るまで重要な役割を果たしてきた。「日本国民救援会」が、全面的に支援したから、数多くの冤罪事件で、犯罪者という汚名を着せられた人たちが、雪冤を果たし、刑務所から生還した。そういう意味で「日本国民救援会」の存在はもっと評価されて良いと思う。かつて、「共産党万歳」とテレビで叫んで、業界から干された芸能人がいた。前田武彦という方である。1973年6月17日「夜のヒットスタジオ」で前田武彦さんは、番組終了前に、「共産党万歳」と叫んだ。本人いわく、共産党シンパではないと言う。当時のことを次のように述懐されている、「当の私は、政治にかかわったという意識はまったくなかったし、かかわりたいとも考えていなかった。共産党の人たち誰もが、みな親切で優しく、感じの良い人間という印象を受けた。思想については、よく分からなくても現体制に対する批判や意見を聞くと、もっともだなあ」と感じた。私は、シンパだという自覚はない。強いていうなら、親しい知り合いぐらいに心の中に位置づけていた」と。前田武彦さんは、フジテレビの鹿内信隆を怒らせ、「夜のヒットスタジオ」どころか他の番組を降ろされてしまう。今も昔も「共産党」に対する認識はあまり変わっていないのではないだろうか。2017年共産党の宮本徹衆議院議員が、衆院予算委員会で、東村山市生活保護について言及した。ホームレス状態で、足のケガが、一部懐死状態だった50代の男性が、生活保護を求めたところ、東村山市から仕事を進められて、生活保護につながれなかった。東村山市は、国権の最高機関である国会で、東村村山市という固有名詞をあげて、不適切な対応があったと、宮本徹氏を批判した。この宮本徹氏の行動は、共産党の議員でなければできない行為だと思う。かつて、共産党員を「アカ」と呼んだ。蔑みだけではなく、ある種の羨望もあったのではないかと思う。「頭の良い人間」は、共産党員になると言われていた。共産党の上層部は、確かに「学歴エリート」である。不破哲三志位和夫、そして宮本徹氏も東京大学出身である。そうした歴史が脈々と令和の時代にまで負の遺産として残っているのは、許せないと思う。