孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

能町みね子 センスがあるが上品過ぎる 有吉弘行の再ブレイクを予言したナンシー関の後継者になり得るか?

能町みね子は、今もっとも鋭い観察眼を持ったライターである。週刊文春で連載している、コラムなどを読んでいるとそう感じさせられる。しかし、この連載コラムを読んでいて思うのは、芸能ネタを扱っていても落とし所が、どこか政治的な感じがしてならない。文章も、申し分なくて、流石、「東京大学卒」だなあと思うのだが、何か物足りない。かつて、能町みね子のようなポジションにナンシー関がいた。週刊誌の連載をいくつも持ち、売れっ子であった急死してしまう。今年で、ナンシー関が亡くなって20年になる。あまりにも早い死であった。ナンシー関は、消しゴム作家という肩書で、芸能ネタを書き続けた。その毒舌は、あまりにも鋭く、芸能界でも、彼女に書かれることを恐れる芸能人が数多くいたようだ。ナンシー関と言えば、猿岩石でブレイクしたが、売れなくなっていた有吉弘行が再び再浮上する「あつかましさ」を持っていると予言したことが、一部の人たちで話題になっている。また、ダウンタウン松本人志をべた褒めしたことも有名である。とにかく、ナンシー関の芸能界を観察して、分析する力は天才的であった。芸能コラムを文化的評論にまで昇華させたと、ある偉い作家は、ナンシー関を評していた。それは、違うのではないかと私は、思う。ナンシー関が、テレビが好きで好きで仕方がなかった。ナンシー関自身が、視る側ではなく、テレビの向こう側の住人になりたかったのではないだろうか。ナンシー関は、自らの体型を気にしていたと思う。自分は、この体型と容姿では、テレビに出演できないというコンプレックスを持っていたに違いないだろう。その悔しさが、文章を書く原動力になっていたと思う。能町みね子の場合どこか、育ちの良さがあり、そうしたルサンチマンを感じさせない。テレビに出て、好きな「相撲」のことを語ったりして余裕がある。文化人としてのポジションを維持していくだろう。個人的には、ナンシー関のような毒を持った芸能コラムを読みたいが、土台無理な話だと思う。