孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

高齢の親子が相次いで衰弱死 誰にも気づかれずそして助けを求められない 冷たい社会 明日は我が身

大阪で相次いで高齢の親子が衰弱死する事件が発生した。大阪市住吉区帝塚山の2階建て住宅で、7月23日午前9時30分頃大阪府警の警察官らが親子の遺体を発見した。死亡していたのは、85歳の父親と55歳の娘だった。司法解剖をしたところ、2人は、5月下旬ごろに栄養失調で死亡していた。父親は、1階の一室で、娘は、2期のベッドで見つかった。高齢の父を娘が介護していたといい、冷蔵庫に食品はほとんどなかった。一方7月24日には、大阪府八尾市の府営住宅の一室で、90歳の母親と65歳の長女が衰弱死していた。八尾署が発見したときに、長女を病院に搬送し、「入院の必要がない」として、7月25日に死体遺棄容疑で逮捕したが、その直後に容体が急変して、救急搬送した直後の7月25日の朝に死亡した。司法解剖したところ、脱水症による急性腎不全と分かった。何とも悲しい事件である。最近はこうした事件が増加している。それぞれ家庭の環境が異なるが、共通しているのは、第三者が介入していたら事件を未然に防止できたということだ。昔であれば、隣近所お互いに助け合いながら生きていて、家族が孤立するということは絶対なかった。しかし、ライフスタイルの変容と、他者に冷たい世の中では、「人が死のうが、自分とは関係ない」と考える人が著しく増加した。この事件の場合、「冷蔵庫に食品がほとんどなかった」ということから、経済的に困窮していたことが窺える。生活保護を受給していたのか。もし生活保護を受給していたなら、担当のケースワーカーが訪問などをして気遣うべきだったのではないだろうか。生活保護を受給させた後の暮らしを考えてやるのが行政の仕事であるが、残念ながらあまりうまく機能していないように思う。「生活保護を受けさせてやっている」といった意識があり、生活保護受給者は、肩身の狭い思いをしなければならない。世間では、生活保護受給者が働かず、パチンコなどしているネガティブなイメージを相変わらずある。一部の不心得者だけの話であって、大半の人は苦しい思いをしているのが現状ではないだろうか。誰かが孤独死、餓死しても自分とは関係がないという冷たい社会に何時から日本はなったのだろうか。