孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

三浦瑠璃 田原総一朗氏にはぞんざいな態度で接するのに 「大喪の礼」を「たいものれい」と間違う 学者というよりタレントに近い

三浦瑠璃が、7月31日の「ワイドナショー」に出演し、天皇上皇国葬である「大喪の礼」を「たいもの礼」と言い間違えたことが話題になっている。同番組では、襲撃された安倍晋三元首相の「国葬」を巡って賛否が分かれている問題が取り上げられた。三浦瑠璃は、「吉田茂がどれほど憎まれていたことか」と、戦後唯一の「国葬」を行った吉田茂元首相を引き合いに出し、「反対の意見が出ることは、健全というか、反対が出ない総理大臣なんかいないんですよ」と持論を展開した。その直後に、次のように発言した、「日本で少し私が憂慮するのは、天皇陛下国葬は当然だと。これは、たいもの礼だと。天皇陛下という方は、国民のために祈っていただいている、本当にプライバシーを自己犠牲にしている。だから、権威は認める。けど民主主義で選んだ総理大臣に対して毀誉褒貶もあろう、だけども政治はダメってのは民主的にはおかしいと思っているんです」と。「大喪の礼」は正しくは「たいそうのれい」と読む。保守派論客であるなら、その程度の言葉を読み間違える時点で勉強不足だと思う。麻生太郎が、「未曾有」を「みぞうゆう」、踏襲を「ふしゅう」、頻繁を「はんざつ」と読み間違えたことはあまりにも有名な話である種の笑いのネタになっている。しかし、三浦瑠璃の漢字の読み間違いは、麻生太郎とは次元の違う問題ではないだろうか。言い間違えは、非難されて当然のことだが、発言内容自体もう少し吟味されるべきである。「天皇陛下は、国民のために祈っていただいている。」というのは、時代錯誤の国粋主義者の発言でしかない。天皇陛下がどうして、私たちのことを祈っているのか。安倍元首相の「国葬」は、生前の行いを考えれば、賛成することなど絶対あり得ないことだ。民主主義で選んだ総理大臣というのもおかしい。派閥の論理で選ばれただけであって、民意が反映されたものではない。三浦瑠璃は、保守派の論客として有名である。一方、女性の人権については、リベラルな考え方をしている。三浦瑠璃を一躍有名にしたのは、テレビ朝日の「朝まで生テレビ」だと思う。あの番組に出演し始めて、一躍名前が知られた。しかし最近では、田原総一朗氏に対しての態度があまりにもぞんざいなことが目に余る。田原総一朗氏が暴走しているだけの「老害」と批判されている。確かに、田原総一朗氏は、人の話を遮って、暴走してしまうことがある。しかし、「朝まで生テレビ」を見ていて常に感じるのは、田原総一朗氏がいなければあの番組は35年も続かなかっただろうということだ。「自分は、直接大物政治家にこの前聞いたんだ」というような嘘か真か分からないはったりは、田原総一朗氏でなければ絶対できない芸当である。田原総一朗氏が、「老害」であることがスッタフの間でも共有されている雰囲気がある。それに乗じて、三浦瑠璃も田原総一朗氏に対しては、些細な間違いを大袈裟に訂正したり、鼻で笑うような態度が目立ち始めた。田原総一朗氏は、三浦瑠璃を気にいっているから、話がこじれたら三浦瑠璃に話を振る。自分を売り出してくれた番組の司会者である田原総一朗氏には、リスペクトするのが当然ではないだろうか。そういう傲慢な態度の人間が、政治や女性の人権について偉そうに語る資格があるのだろうか果たして疑問である。