孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

見沢知廉という作家 新右翼で殺人を犯し、獄中で小説を書き続けてデビュー 46歳で自殺するがその作品は文学史上に残ると思う

見沢知廉という作家がいた。46歳という若さで自殺してしまったのでもうこの世にはいない。その短い作家人生で発表した作品は寡作でありながら、才気に溢れた作品は文学史上に残ると思う。見沢知廉は、新右翼の活動家であった。中学生の頃に右翼団体に入り、早稲田高校進学後は暴走族に入るなど、頭が良いのに、過激な面があったようだ。高校2年生の時に、「点数がすべてと決めるこんな制度に従っていられるか」と叫び、左翼活動を決意する。しかし、昭和54年に左翼を辞めて、180度方向転換をして、右翼「一水会」に入る。昭和57年9月12日に「スパイ粛清」として殺人事件を起こしてしまう。全国指名手配されるが、9月23日に自ら出頭して逮捕される。懲役12年の判決を受けて、獄中生活を強いられる。獄中で小説を書き続け、「天皇ごっこ」で新日本文学賞を受賞する。この獄中で小説を書き続けた苦労は、自らの作品「母と子の囚人狂時代」に詳細に書かれている。とにかく、見沢知廉の母親の人物の器には驚かされる。息子が殺人犯として、刑務所に入っているのに微塵の暗さも感じられない。かといって、悪いことをしたことに鈍感なだけの人間でもない。天衣無縫という言葉が最も似合う魅力的な人間なのだろう。新右翼である見沢知廉が、「新日本文学賞」という左翼の賞を受賞するのが面白い。新右翼一水会」という組織が単なる既成の右翼と違うことを証明していると思う。見沢知廉の作品は、イマドキの文学もどきと明らかに一線を画する。自らの苦悩を文学に救いを求めるという情念のようなものが文章の行間から滲み出ているからだ。借り物の言葉ではない、自分の言葉。イマドキの作家に欠けているのはそこだと思う。私は、高校生の時にテレビで見沢知廉を見て衝撃を受けた。あれは、笑福亭鶴瓶が司会をしていた番組だったと思う。「何と繊細で、頭の良い人なのかと」凄い人だと感動した記憶がある。晩年は、うつ病を患っていたようで、住んでいたマンションから飛び降り自殺してしまう。46歳という短命がら、全力疾走で生き抜いた希代の作家の作品は、確実にこれからも数少ないながらも読み続けられるだろう。