孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

映画「踊る大捜査線」で大ブレイク 北村総一朗さん 62歳で世間に名前が知られるようになった 「耐えること」を実践した求道的な生き方は凄い

私は、北村総一朗さんという役者さんが大変好きだ。北村総一朗さんの演技を見ていると、役柄を超えた北村さん自身が持っている暖かい人間性のようなものが滲み出ているからだ。最近の役者には、そうしたものが全く感じられない。割合、演技力のある役者であっても、技術で、芝居をしているとしか思えない。北村総一朗さんは、織田裕二主演の「踊る大捜査線」の署長役で大ブレイクした。1997年のことで、もうその頃で、北村総一朗さんは、62歳になっていた。普通の人で言えば、還暦を過ぎ、定年退職している年である。芸能界で売れることは、非常に至難のことで、売れている人は、全体のごくわずかである。また所属してる芸能事務所や、コネなど、普通の社会では考えられない「力学」のようなものが働き、多くの人間が夢破れて、芸能界を去って行く。そんな超過酷な芸能界を生き抜いてきたひとりが、北村総一朗さんである。Wikipediaに詳しいことが書き込まれているが。北村総一朗さんは、文学座出身で、同期には、大スターたちがいた。にもかかわらず、北村総一朗さんは、無名で62歳まで売れなかった。古いテレビドラマを見ていると、北村総一朗さんは、様々な脇役を演じている。「傷だらけの天使」という萩原健一主演の大ヒットドラマにも、出演しているが、画面を凝視しなければ分からない程の出番である。刑事、サラリーマン、時代劇では、殿様、と北村総一朗さんの実人生よりも、虚構の与えられた役柄を演じている方が長いのではないかと思えるくらいに、脇役人生を送ってきた。主役以外は、人間扱いされないという芸能界で、良くも北村総一朗さんは、耐えてきたものだと思う。北村総一朗さんは、インタビューで次のように語っている、「この仕事を辞めようと思ったことは、何度でもあります。自分の限界は、芝居をしていれば分かりますしね。この人にはかなわないという存在に出会ったときに、そう自分は三流だって、つくづく思うんですよ。それでも、やりたくてこの仕事をやっているからには、人の役に立ちたいという自負はあります」と。何と謙虚な言葉であるか。今の勘違いした役者もどきに聞かせてやりたいと思う。言い知れぬ悲しみや苦しみを乗り越えたからこそ、北村総一朗さんは、人間味のある役者さんなのだと思えてならない。