孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

「女性性器の識別もできない 知的障害者」を犯人にでっちあげた「野田事件」警察のやり口は卑劣極まりない 「ほんとうは僕殺したんじゃねえもの」と言って死んでいった青山正さんの無念は想像を絶する

昭和54年9月千葉県野田市で、下校途中の小学校1年生の女児が行方不明になり、竹林の古井戸から全裸の遺体で発見された。女児は、性的ないたずらをされていた。千葉県警は、不審者、変質者を徹底的に調べたが、何の決め手もなかった。そこで、目を付けたのは、殺害された女児が登下校中に通る道に家があった、青山正さんだった。女児が、殺害されて遺棄されていた井戸があった竹林は、元々青山正さん一家が所有する土地であった。青山家は、地元の名士であったが、青山正さんの父親が働かず、放蕩し、没落し、この土地も手放さなければならなかった。青山正さんは、重度の知的障害があり、母と姉の子供たちと一緒に暮らしていた。青山正さんは、内職仕事をしていた。殺害された女児の遺体からは、乾電池や金粉などが付着していた。この乾電池と金粉を、青山正さんのものであるという有罪証拠にして、警察は、青山正さんを逮捕した。乾電池は、日頃、ラジオ好きの青山正さんが、母親に頼んで、大量に購入していた。内職に使う金粉についても、青山正さんが内職で使用したものと、女児の遺体に付着していた者と同一とは断定できない、極めていいかげんな証拠であった。おそらく真犯人が、青山正さんを犯人に仕立てるために、乾電池と金粉を使用したのだろう。そしてこの事件の一番の争点は、女児の遺体現場に「キャンディキャンディとプリントされたバックが残っていた。少女の名前と住所が書かれた箇所が切り取られていた。その切り取られた布片を青山正さんが、警察の取り調べ室で、「ズボンのポケットに入れた」と証言する。この証言は全くの出鱈目で警察の作為があった。警察は、録音テープを使用していた。青山正さんが、「ズボンのポケットに入れた」と証言するまで、空白の時間がある。おそらく、警察は、その時間に何らかの細工をしたことは明白である。録音テープを分析し続けてきた、浜田寿美男氏は、「警察の作為」を指摘されておられる。野田正さんは、女性性器の識別も分からず、どのようにして女児にいたずらをしたか、逮捕当時は、全く証言出来なかった。おそらく、取り調べにおいて、警察官たちの言われるままに、証言を変更して、自白調書が完成されたのではないだろうか。冤罪で、被害に遭うのは、いつも社会的弱者である。青山正さんは、1987年1月26日に千葉地方裁判所で懲役12年の有罪判決を受けて、服役する。出所後、2014年7月14日に千葉地方裁判所松戸支部に再審請求を行う。しかし、青山正さんは、2018年に70歳で亡くなる。無実でありながら、汚名を着せられ死んでいった青山正さんの無念は察するに余りある。