孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

卑怯な人間が生き残れる社会 いじめで「パンツを脱がせされて難病を発症して亡くなった人」加害者はぬくぬくと生きている これが現実社会というのはやり切れない

知り合いの人から聞いた話であるが、中学生時代に、激しいいじめに遭って、難病を患い、車椅子生活を与儀なくされて、亡くなった方がいる。その知人は、詳しく話したがらなかったために、事の経緯は分からない。しかしその話を聞いただけで、およその概略は理解できた。中学生というのは、最も「いじめ」の激しい時期である。私は、経験がないので当事者からの立場で語ることができないが、その「いじめ」がもたらす残酷さは想像できる。「パンツを脱がす」といういじめは、男同士であれば起こる必然性が極めて高い。中学生という「第二次性徴期」では、声変わりしたり、精通があったり、異性に関心を持ち始めたり、疾風怒涛の頃である。当然、他人と自分の違いが気になり、自意識過剰になる。とりわけ生殖器に関して、ナイーブな問題となり、パンツを脱がして冷やかすことが、いじめの一形態となるのはある意味必然なことだと思う。しかし、パンツを脱がされても、笑いに変えていくことのできる男の子は、いじめの対象にはならない。「パンツを脱がされた時の反応」によって、いじめのターゲットが決まるのではないだろうか。神経質で、おどおどした男の子は、「パンツを脱がされたこと」を恥じと感じてしまう。その反応をいじめる側は、楽しむのである。たとえ「ネットいじめ」が主流になっても、こうしたいじめは、今も続いていると思う。私は、この話を聞いて暗澹たる気分になった。被害者は、ショックのあまり、精神的、肉体的におかしくなって、難病を発症した。心と体は密接不可分で、あまりにも激しい事件や事故に遭遇すると、人は「トラウマ」を抱えてしまう。安易な「トラウマ語り」は、流行のようであるが、この話のように深刻なケースも少なからずあるが、見過ごされているような気がする。精神医学が進歩しても、本当に救いを求めている人に向き合っていないのではないだろうか。「パンツを脱がした」いじめの加害者は、結婚もして子供に恵まれてぬくぬくと生きているに違いない。薄汚い輩や卑怯な人間が得をするのは太古の昔から変わっていない。しかし、現代社会ではますますその傾向が強くなっている気がしてならない。勧善懲悪は、夢物語である。