2019年に「吉本興業」の芸人たちが、「闇営業」で処分された。だが、お笑いの世界のみならず、映画界でも、「暴力団」と蜜月にあるのは当たり前のことだった。それを今更「コンプライアンス」などときれいごとで、ごまかすのは疑問で仕方がない。吉本興業では、1987年に月亭八方、坂田利夫、間寛平、チャンバラトリオのゆうき哲也などが、暴力団のパーティーに出席していたことが社内で問題となった。発端は、3年前の1984年3月に月亭八方、坂田利夫、間寛平、ゆうき哲也らが、一和会の白神英雄組長の誕生パーティーに出席して、それぞれの芸を組長の前で披露したことが明るみになった。白神組長は、三代目山口組若頭補佐で、一和会の常任顧問を務めたが、後にサイパン島で殺害されている。吉本興業は、「わが社の重大なタレントの管理ミス」と認めて、月亭八方、坂田利夫、間寛平、ゆうき哲也らを減給処分とした。特に、この面々の中で、暴力団と親交があるのは、ゆうき哲也だ。ゆうき哲也と言っても、知らない人が大半だと思う。竹内力主演の「ミナミの帝王」に出てくる、沢木親分役の役者と言えば思い浮かべることができるのではないだろうか。主役の竹内力も一目置く親分役は、ゆうき哲也の当たり役である。なぜなら、実際に「暴力団」と交際して、彼らの立ち振る舞いを学び、役柄に生かしたような気がする。東映やくざ映画が華やかしき頃、現職の「やくざ屋さん」たちが、撮影所で出入りして、役者たちの演技に注文を付けたという。ゆうき哲也もそうした古い撮影所の伝統を受け継いだのかもしれない。ゆうき哲也は、昭和35年に東映に入社した。高倉健の付き人をした後に、チャンバラトリオを結成する。1980年には、月亭可朝、間寛平と共に野球賭博に関与していたとして謹慎処分を受けている。1987年の白神組長の誕生パーティーと懲りない、やんちゃ振りである。ゆうき哲也が最も親交があったのは、山口組系古川組である。仕事と私生活を切り離さずに、「暴力団」と交際したのは、軽はずみな行為だったと思う。