孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

「東京ガード下酔いどれ人生」アル中でひきこもりで50歳の息子と80歳の母親のせつない人生 社会生活不適応者は昔からいた

 20年以上前に、フジテレビの「ザ・ノンフィクション」という番組で、「東京ガード下酔いどれ人生」を見て衝撃を受けた。50歳近くなるが、アル中で、ひきこもりである息子と80歳の母親を追ったドキュメンタリーだ。まだ、「社会的ひきこもり」という存在がクローズアップされる以前のことである。息子は、いじめに遭い、心に傷を負って、対人恐怖症のようになって酒に溺れてしまうしまう。母親は、喧しく、息子を叱るが、「息子のことがかわいくて仕方がない」所謂共依存の関係だと思う。息子は、昼間から酒を飲み、呂律も回っていない。母親にお金をもらって、コンビニに酒を買いに行く姿は、まるで子供のようである。息子と80歳の母親のことが気になって、世話をする小林さんという人がいる。世間の酸いも甘いもかみしめたような、苦労人といった感じがする。息子は、働くことを決意するが、突然死んでしまう。残された母は、気丈に振舞うが、悲しみに満ち溢れた表情は隠せない。この息子は、団塊の世代の最後の学年である昭和25年生まれで、私の父と同じ歳である。このことを考えると、「ひきこもり」と言われる人たちは昔から少なからず存在したことになる。親に甘えて、酒に溺れただけの「情けない人間」「社会生活不適応者」と世間の大半の人は見做すだろう。しかし、弱肉強食の世の中で、どうしても、この息子のような人間が出てきてしまうのは仕方がないことだと思う。「東京ガード下酔いどれ人生」というタイトルに込められたのは、下町の人情が残っていた時代には、こうした「社会生活不適応者」をあたたかく受け入れる土壌があったということではないだろうか。不寛容な社会になって、他人を蹴落とす現代社会では絶対考えられないことである。近年、ひきこもりの高齢化を象徴する「80・50」問題がいたずらに喧伝されている。高齢の親が死んだら子供は、どうなるのかと。確かに、現実は厳しい。しかし、「東京ガード下酔いどれ人生」は、根本的なことを示唆しているように思えてならない。