孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

「国葬」の日に映画「REVOLUTION+1」を公開する 足立正生監督 生活保護を受給しているからなどと言いがかり 映画を作ることだけでも意義がある 

安倍晋三元首相襲撃事件の被告山上徹也をモデルにした映画「REVOLUTION+1」を足立正生が制作した。本編の公開は、年末以降であるが、敢えて、「国葬」の日に合わせて上映する。足立正生氏は、「国葬にあらがいたい。事件は、決して許されないが、カルト2世の痛みや苦しみを感じて欲しい」と言う。足立正生氏が、ネット上で集中攻撃されている。「国葬」という安倍晋三元首相を追悼する日に映画を公開するとは、個人を冒瀆するものであるとか。あるいは、山上徹也被告が、心情的に右翼であり、足立正生氏らの思想を相反するものであるとか。酷いものになると、足立正生氏が、「生活保護」を受給しているから、映画などを制作する資格がないと、言いがかりを付ける輩までいる始末。これほど、国民が「国葬」に関心を持っているからこそ、映画人として何かをしなければいけないという義務感で足立正生氏は、映画を製作したのではないだろうか。決して、売名行為ではない。「生活保護」を受給していたら、文化的な活動をしてはいけないなどと誰が一体決めたのかと言ってやりたい。過去に、「生活保護」を受給しながら、文学史に残る名作を書き上げた作家がいた。その名は、大西巨人大西巨人は、第一子に障害があった。それにも関わらず、第2子を妻との間でもうけたことで、渡部昇一が批判して、週刊新潮大西巨人を攻撃した。根底にあるのは、「生活保護受給者」への差別だ。渡部昇一「知的生活の方法」と大西巨人の「神聖喜劇」を読み比べたら、どちらが価値のある作品かは一目瞭然である。足立正生氏は、次のように語っている「私は、革命に失敗した老人。若い人は、現実の理不尽に立ち向かい変える力を持っている。現在の若い人たちは、とても生きづらそうに見えるが、もっと自分の心を解き放ち、心を素直に人生をのびのびと生きて欲しい」と。修羅場をくぐってきた人だけに説得力がある言葉だと思う。足立正生氏は、若松孝二監督と組み、その作品は日本映画史に残るほどの名作ばかりである。足立正生氏の優れたシナリオがあったからこそ、若松孝二監督は、自由気ままに撮れたのではないだろうか。緻密なシナリオ作りをしたことであまり評価されていない。むしろ、日本赤軍に加わり、レバノンで服役したことの方が注目されている。本当は、優れたシナリオライターであることをもっと知ってもらいたい気がする。個人的には「胎児が密漁する時」「狂走情死考」が好きである。60年代に「反体制映画」を作っていたが、今も足立正生氏のその精神が健在なことは私にとっては喜ばしいことである。