孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

飯塚事件 警察の捜査は妥当なものだったのか? 岩田務弁護士、徳田靖之弁護士の事件に捧げる熱い情熱 「死刑執行」に麻生太郎の政治的圧力があった

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飯塚事件」について、NHKが特集したり、今週のNNNドキュメントで1時間にわたって取り上げるなど、ひそかに注目されている。私自身は、この事件に関しては、正直「完全なる冤罪」といまだ確信できないでいる。袴田事件のような絶対これは、「完全なる冤罪」と言い切る自信がないのだ。しかし、無罪を訴えている被告人が、突然の死刑執行された。そのような愚行がまかり通るならば、日本の刑事司法は、死に絶えたも同然である。1992年2月20日福岡県飯塚市で小学校1年生の女児2名が、登下校中に失踪した。翌日に隣接する甘木市で遺体となって発見された。福岡県警は、久間三千年さんを逮捕した。逮捕に至る原因は、女児2人の遺体が発見された場所に、犯行時間帯に、久間三千年さんの車が止まっていたという目撃証言であった。さっそく、福岡県警は、久間三千年さんを調べあげていく。久間三千年さんの毛髪と指紋を、DNA鑑定した結果、女児の遺体に残されていた犯人のDNA型と一致した。また、久間三千年さんの車内から繊維片と血痕が発見された。調べたところ、繊維片も殺害された、女児の着衣の繊維片と一致した。しかし、血痕は、久間三千年さんの家族のものである可能性が高く、DNA型は検出されなかった。もう一つ久間三千年さんが福岡県警から、目を付けられたのは、1988年に小学校1年生の女児が失踪した事件が付近で発生していた。その女児の最後の接触者が、久間三千年さんであったされていた。つまり、久間三千年さんなら、「小さい女の子が好きで、幼児へのいたずら目的の犯罪をする人間」と言う先入観が警察当局にあった。当時の指揮を取った警察官は、「今でも、久間三千年がやったと俺は確信している。奴が、死刑執行されたおかげで、この種の女児連れ去り事件がなくなった」と言い切った。完全な見込み捜査である。ネット上でも、久間三千年さんが、やったもので、飯塚事件は冤罪ではないという声が多い。しかし、刑事裁判において、本人が一貫して「無罪」を主張している。間接証拠しかない状況で、有罪判決を下すことは絶対あってはならないことである。飯塚事件の有罪の決め手となった「DNA鑑定」が間違いであることが判明する。それは、足利事件で菅谷利和さんが再審請求で、DNA鑑定を行い、菅谷利和さんのDNAと殺害された幼児のDNAが一致しなかった。後に菅谷利和さんは、無罪となる。つまり、「飯塚事件」「足利事件」で実施したMCT118という「DNA鑑定」は極めて曖昧なもので、間違っていたことになる。ここからが不可解な事が起きる。2008年10月17日に「足利事件」のDNA鑑定の再鑑定が行われるとういう報道がなされた。その1週間後の10月24日に久間三千年さんが死刑執行された。森英介法務大臣の名で。実質的に死刑執行を指揮したのは、法務省の刑事局長であった大野恒太郎である。「飯塚事件」の地元飯塚市は、麻生太郎の地元でありその当時の首相でもあった。「足利事件」が無罪となれば、「飯塚事件」の判決も揺るぐことになる。そうなれば、司法の面子は丸つぶれである。そうしたことを回避するために、久間三千年さんの死刑を執行したとしか考えられない。「飯塚事件」では、徳田靖之弁護士、岩田務弁護士が、死刑執行後の「再審請求」に尽力されておられる。徳田靖之弁護士は、刑事弁護の世界では知らない人はいない人物。「飯塚事件」の主任弁護人の岩田務弁護士は、今も女児が消えた三差路に立って、久間三千年さんの無実を信じる。お二人のような弁護士が、わが国の非情な司法に挑戦する姿を見ると、「正義」なるものを信じても良い思いに駆り立てられる。