孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

妻の姓に名前をして 不動産管理だけで楽をして「夜の街で遊び歩いている男」 私に侮蔑の眼差しを送るトンデモナイ輩 女の「ヒモ」ではないのかと言いたい

狭い田舎に住んでいると、都会と違って、お互いの家の事に関心を向ける傾向がある。自意識過剰と言われるかもしれないが、特に「人の不幸は蜜の味」というように、他人の不幸をどこかで喜ぶ所がある気がしてならない。私のように、途中まで、人生が上手く行っていたが、「社会生活不適応者」になって、惨めな姿を晒して生きていると、そうしたことをひしひしと感じる。私は、良く、「他人の悪口」を言うと、親から責められるが、絶対に「真面目で人柄の良い人」の悪口は言わない。何か、卑怯で、薄汚い所がある人間を許せないから、ついその人間を手厳しく批判してしまう。その代表として、私の近所に住んでいる52歳の男がいる。この男、「落ちぶれた」私を嘲り笑う感じで見る。決して、統合失調症の「被害妄想」の類いおよび、人格障害から派生する「被害念慮」ではないことを強調して置く。この男は、養子ではないが、妻の姓にして、不動産管理で生活している。子供たちを私立中学校に入学させたりするのだから、お金が余る程持っているのだろう。自慢は、高校野球で有名な私立高校を卒業し、野球でそこそこ有名な大学に入学したひとり息子である。野球のことに詳しくないが、「プロ入り」した同級生もいる学校の中では、あまり才能がないように思う。まず、体格が小さく、基礎的な運動能力がそれほどではないからだ。しかし、この男にとっては、そんなことが分からないのだろう。この男は、妻の両親とその親戚には、「ペコペコ」しているが、裏の顔があって、夜の街で遊び歩いているのである。良い車を何台も所有して、地元の名士の仲間入り。さぞ、自分が「上流階級」の人間にでもなって、自己満足していることだろう。この男にとって、私など、「社会の最下層の人間」にしか映らないに違いない。私が思うに、世の中「こんな男」が山ほど存在する。体裁だけは良いが、「中身は、カスカス」といった男。悔しいことに、私の両親だけでなく、世間の人は、この男の卑怯未練な生き方を激しく攻撃することはない。最近の社会は、「善人と悪人を見抜く眼力」を持った人間が著しく少なくなった気がしてならない。私は、この男に「所詮、女のヒモではないのか」と叫んでやりたい衝動に駆られる。