孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

岸和田だんじり祭り 清原和博の原点というが 妙な「連帯感」と「一体感」 過去に死者まで出ている野蛮な行事をどうして続けるのか?

岸和田と言えば、「だんじり祭り」で有名である。岸和田だけでなく、大阪府泉州地域では、「だんじり祭り」が各地で開催される。今年は、富田林で死者が出た。私の弟が、「岸和田」の女の子と結婚して、岸和田に住んでいる。また、弟の悪口を書いてしまうが、どうも、何も考えずに生きている所が多いような気がするのだ。弟は、以前にも書いたように国税局というお堅い仕事をしている。当然結婚する相手も、私とは無縁の世界の人と思っていたが、全然違い岸和田の庶民的な家庭の人と結婚した。弟の彼女について、とやかく言いいたくないが、どこか「軽い感じ」がしてならないのである。公務員であれば、もう少し真面目な女性を選ぶと思うのだが。人それぞれの趣味がって良いので、私の好みの女性を押し付ける訳にはいかない。問題なのは、国税局で働いて、それなりの給料を得ているのに、彼女の実家である岸和田に住んでいて、子供の世話から始まって何もかも、「岸和田」の彼女の両親の世話になっていることである。私の両親は、「これでは、養子に入ったみたいだなあ」と嘆いているが、弟一家を溺愛する。そして、長男であるが、家にいる「子供部屋おじさん」である私を軽蔑して、暴言を吐く。「子供部屋おじさん」の事はまた別の機会に論じたい。弟が住む「岸和田」の生活を知るうちに、「だんじり祭り」が日常生活に根付いていて、少し常軌を逸しているのではないかと感じるようになった。弟の子供、私からすれば、甥っ子が1歳ぐらいから、「岸和田だんじり祭り」のハッピを着せて、「岸和田だんじり愛」を植え付けていく。少し行き過ぎではないだろうか。岸和田でもう一つ忘れてはいけないのは、清原和博である。「週刊新潮」の記事で、清原和博と「岸和田」を結び付けないで欲しいという宮司のインタビューが掲載された。岸城神社の宮司は、岸城神社で9月に行われる「岸和田祭り」が正式であること強調した。そして清原和博は、岸城神社の氏子ではなく、違う神社の氏子に入っているので、「岸和田祭り」と結び付けないで欲しいとクレームを付けた。この「岸城神社」の宮司は、何と器の小さい人間なのだろうか。清原和博が、覚醒剤で逮捕された頃で、「岸和田祭り」のイメージに傷が付くと感じただけのことである。岸和田市民全員が、「だんじり祭り」を愛しているとは限らない。もしそうだとすれば、「だんじり愛」を押し付けるの全体主義的なもので、いかがなものかと思う。