孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

朝日新聞社内で拳銃自殺を図った 野村秋介の清冽な生き方 朝日新聞のような「嘘の正義」を塗固した権力に弓を放った美学を口舌の徒は何と見るか?

朝日新聞を毎日読んでいると、記事のレベルの低さと、朝日新聞を読む「良識的市民の方々」に怒りを感じてならない。まず、記事について言えば、「ジェンダー平等」「選択的夫婦別姓」のようなフェミニズム思想に偏り過ぎている点。そして、読者が自らの意見を投稿する「声」という欄の内容のお粗末さ。「声」の一般投稿を読んでいると、投稿者自体が、富裕層であり、自らを「良識的市民」と自負して、自己満足な内容に終始している点。本来であれば、朝日新聞は「声なき人」の声を聞き届けるべきなのに、目線が、そうした人に向いていない。単なる「政権批判」であれば、誰でも出来ることで、本当の巨悪と全く対峙しようとしない情けない姿を「ジェンダー平等」「選択的夫婦別姓」といっったどうでも良い問題でごまかしている。そんな「朝日新聞」に弓を引いた男がかつて存在した。その名は、野村秋介新右翼民族派と呼ばれていた。私は、野村秋介の「天皇崇拝」という思想は受け入れ難い。むしろ、野村秋介と真逆の思想を好む。平成5年10月20日朝日新聞社社長中江利忠はじめ幹部との対談中に野村秋介は、拳銃自殺を図る。野村秋介が、朝日新聞とトラブったのは、前年参議員選挙期間中に「週刊朝日」に掲載された山藤章二の「ブラックアングル」で、野村秋介が代表を務めた「風の会」を「虱の会」と揶揄したことが発端であった。この日野村秋介は、朝日新聞との公開討論を要求し、交渉を1年間続けて、ようやく社長を中心とした幹部との話し合いにこぎつけた。その際中に、野村秋介は、二丁拳銃の引金を引き、朝日新聞東京本社重役室で自殺を図った。野村秋介は、神奈川県立工業校在学中から、愚連隊社会に身を投じ、裏社会との接点を持ち始める。昭和38年には、河野一郎邸焼き討事件を起こし、懲役12年の実刑判決を受ける。そして出所後ごくわずかの昭和52年には、経団連襲撃事件を起こして再び懲役6年の実刑判決を受けて服役する。いずれも、巨大な権力を相手に怒りの矛先を向けている。野村秋介は、終生弱い者いじめを徹底して嫌った。そうしたことが、新左翼筑紫哲也といったリベラルな人間からも好かれたのだろう。「朝日新聞」は、日本の良識を代表するメデイアであるが、近年その劣化は甚だしい。「統一教会」のことでも、本来であれば、「朝日新聞」は論じる権利がないはずである。「朝日新聞阪神支局」の記者が殺害された事件と「統一教会」との関係はまた別の機会に書きたいが。「エセ正義」を垂れ流し、良識的市民と互いに手を取り合っている「朝日新聞」に自らの命を賭して抗議した野村秋介は果たしてあの世でどう見ているだろうか。