孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

「人生はガチャで決まる」 成功者が努力しない言い訳と責め立てるのは 全く時代の空気感を読んでいないと思う

産経新聞に元「宝塚」の美園さくらが、「ガチャ」について書いていたので、思う所が大いにあった。美園さくらは、若者たちが、「ガチャな人生」を引き当てたことを理由に努力を放棄する最近の風潮に違和感を感じる趣旨の事を書いていた。元「宝塚」のスターとは到底思えない文章能力と洞察力、考察力には感心させられた。よほど物事を深く考えて、それを文章という形で、表現する能力に長けているのであろう。しかし、美園さくらの主張は、間違っていると、私は思う。「親ガチャ」に端を発したこの言葉は、今では、色々な言葉に付随するようになった。それだけに、自分の力ではどうすることもできないことが現代社会の様々な局面で発露し始めているのような気がしてならない。まず、職場の労働環境も「ブラック」な企業が昔より著しく増加した。昔であれば、年功序列で、人材を育成する余裕が会社の方にあった。しかし、現代は長引く不景気で、「即戦力」を求め、そんな余裕がなくなった。本来であれば、長期的に入社したばかりの若者を見守るべきなのに、少しでも、失敗をすれば、切り捨てていくようになった。そうなると、一見要領が良いだけの人間が得をするようになった。人間の潜在能力や伸びしろといったものは、いつ発揮するか分からないものである。体裁を繕うだけの、小器用な人間が得をする社会システムは、若者のやる気を失せさすものでしかない。良い職場環境に当たるかどうかは間違いなく、「ガチャ」であろう。恋愛においても「ガチャ」の要素が大きい。かつてなら、見合い結婚が主であったり、女が男に色々な条件を付けなかったために、誰でも働きさえすれば、結婚することができた。しかし生涯未婚率が異常なまでに高くなっていることからも分かるように、結婚どころか恋愛すらできない「恋愛弱者」を生み出すようになった。これについては、また別の機会に論じたいが。美園さくらのように、努力をして、確実に自分の願望を叶えることができる人間は、現代社会では、ほんの一握りの「勝者」である。その「勝者」の立場を手に入れることができたのも、運の要素が大きい。たとえ、才能があって、「天才」と呼ばれた人であっても度重なる不運によって、再起不能に陥いり、「敗者」のまま人生を終えてしまうこともあり得るからだ。若者たちが、自分の力では抗えないものを知悉しているから、「ガチャ」と呼んであきらめモードになる。そうした時代の風潮を単なる「努力論」で断罪する「勝者」に違和感を感じてならない。