孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

病みブログ 過激なブログ を書く人は頭がおかしい人なのか? 確信犯的であるが「プロの作家」のようになれないから勘違いを受けるのだと思う

芸能人は、収益を上げることができるからブログを更新する。では、一般の素人が何故ブログを書くのだろうか。自己顕示欲、承認欲求、自分の苦しみを他者に理解してもらい、共有することによって精神の安定を保つなど様々であると思う。私の場合は、ある社会問題に関心を持ったことが原因でブログを書き始めた。私のブログは、読者が極めて少ない。おそらく、「こいつ、何、書いてんねん」「こいつの読者になんか、なってやるか」という意見が大多数であることは間違いないであろう。私が関心を持った「社会問題」は、かなり際どいもので、その現状を知る人は、専門家しか存在しないテーマである。私もブログを始めた頃は、この社会問題の事だけ書いていたら良いと思っていた。しかし、偶に違うテーマ、「芸能ネタ」「テレビドラマや映画」「ひきこもり」「恋愛、結婚」の事を書くと、一日の「アクセス数」が結構多いことに気づいた。読者になってくる人は少ないが、「アクセス数」が多いことには驚いているとともに、少し寂しい感じがしてならない。私が一番興味を持っている「社会問題」を書くと、「アクセス数」は急激に減少する。そこで、「病みブログ」「過激なブログ」を書く人は、頭がおかしいのだろうか考えてみた。私はあまり他人のブログを読まない主義なのだが、「挑発的なブログ」を書く人は、確信犯的に書いていることが多いのではないだろうか。ただ、「プロの作家」のように、手練れではないため、完成度の低い、読むに耐えない代物に終始してしまう感じが否めない。ある作家を例に出したい。中島義道という「哲学」を専門としながら、「うるさい日本の私」「孤独について」「働くことがイヤな人のための本」など数多くの著作を世に送り出している。中島義道は、街中に溢れる「騒音」について、異常なまで敏感になり、他者とトラブルを起こす様を描いたり、自ら「変人」であることを強調している。中島義道の著作を読むと、「東京大学を卒業して、どんな頭のおかしい人なのか」と誰もが思う。しかし、小谷野敦という作家が、中島義道を目撃した時の衝撃を書いていた。それによると、「お洒落なスーツを着こなし」「社交的で、本で読んだイメージと違って、腹が立った」と。つまり、中島義道は、戦略として、自らの著作の中で「頭のおかしい人」に成りきって書いているのである。「さすが、プロの作家であるなあ」と私は、妙に感心した。同じように素人が、やっても、勘違いを生むだけである。それほどに、文章を生業にしていく「プロの作家」というのは、生まれついた才能とセンスが必要とされるのではないだろうか。