孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

赤軍派議長「日本のレーニン」と呼ばれた男 塩見孝也 思想に殉じた「純粋な人間」 晩年は「駐車場の管理人として「労働の喜びを知る」と名言を残す

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塩見孝也という男がかつて存在した。1960年、70年代の学生運動の「カリスマ的」な人物である。塩見孝也は、昭和37年に京都大学に入学して、「ブント」派の学生運動を始める。京都大学教養学部闘争委員委員長などを歴任して、その名を馳せていく。しかし、従来の運動に飽き足らず、昭和44年に「武装闘争」を唱えて、「赤軍派」を結成して議長に就任する。「よど号ハイジャック事件」などの一連の赤軍派事件に関与したとして、懲役18年の実刑判決を受けた。出所後は、北朝鮮にいる「よど号」グループと接触を図るなど懲りずに非合法の活動を続ける。一連の学生運動に端を発した、左翼運動の歴史については、組織が離合集散していて把握するのが難しい。私が生まれたのは、1981年で現在41歳。「ポスト団塊ジュニア」世代にとっては、全くの無縁の時代の出来事である。しかし、私が思うのは、彼らは、命を賭して、思想に殉じていたということだ。2015年に、安保法制に反対する「SEALS」という学生集団が社会的に注目を浴びた。リーダーは、奥田愛基。彼は、明治学院大学の指定校推薦の時に作家の高橋源一郎と「カレーの話」で盛り上がったという逸話がある。その後、高橋源一郎も奥田愛基を中心とした「SEALS」に肩入れした。「SEALS」の面々を見た時、私は、違和感を感じてならなかった。「お洒落」で「ポップ」で「ライト」な感覚で、社会に異議申し立てる姿勢に「嘘くさい」ものを感じたからだ。「SEALS」と塩見孝也と比べた時にその「本気度」の差は明白であることは、誰の目にも明らかであると思う。北野誠さんがやっていた「サイキック青年団」というラジオに何度か塩見孝也をゲストに迎えたことがあった。北野誠さんは、塩見孝也を絶賛していた。辛口で、文化人、芸能界の虚飾を暴きたてる「サイキック青年団」において、北野誠さんが、褒めたたたえる人物というのは、「本物の人間」であることは間違いないだろう。塩見孝也は、晩年清瀬市の「シルバー人材センター」で紹介された「駐車場」の管理人をして、「労働の喜びを知った」と語った。いかに塩見孝也らしい発言である。週刊新潮は、塩見孝也が、仲間からの援助や労組からのカンパを受けているのに、「思想活動をする資格などない」趣旨の報道をした。いかにも「左翼的文化人の揚げ足を取る」週刊新潮らしいものであるが。私は、仲間の援助や労組からのカンパを受けていても、思想を論じることに何の後ろめたさもないと思う。塩見孝也のように純粋に思想に殉じて、人生を賭ける活動家がいなくなったように感じてならない。