孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

朝日新聞 「単純正義」を主張するだけの三文記事を垂れ流し 思慮浅はかな「良識的市民」との一体感は、思い上がりと勘違いだけ

朝日新聞」を毎朝読んでいるが、内容のお粗末さに腹わたがちぎられる思いである。「選択的夫婦別姓」や「ジェンダー平等」の記事に偏り過ぎている点。そして、警察のリーク記事を相も変わらず、重宝に書き続けている点。特に目に余るのは、女性の人権が、時代錯誤なまでに、侵害されていることを、「被害妄想的」に垂れ流している点だ。女性の議員の数、会社内で、女性の役員の割合などが、低いことが、そのまま女性が「不幸」であると勝手に解釈してるのは、独善的としか言いようがない。幸せ、不幸せといったことを、偏った視点でしか見ることができない、「朝日新聞」の記者の頭の出来はいかなるものか問いたいぐらいだ。何年か前に、週刊新潮が、「朝日新聞」の新入社員に、東京大学の卒業生が、ゼロという記事が掲載されたことがある。かつて、「朝日新聞」と言えば、東大生にとって人気の企業であったが、最近の傾向は変わってきた。他の大手新聞社も同様で、東大生は、一般企業の方を好むようになった。東京大学の学生だから、優秀な記者になるとは言い難いが、「朝日新聞」の記者が、かつてより、エリートではなくなったということは間違いないだろう。新聞記者は、かつて、「ブンヤ」と呼ばれた時代があった。どこか「泥臭く」「人間臭く」「温かみ」のある言葉で、実際の新聞記者たちも、自分の足で、現場に赴き、事実を報道することに腐心していた。ところが現代は、どうであろうか。「記者クラブ制度」に庇護されて、生ぬるい記事を垂れ流すだけ。そうした記者に、庶民感覚など分かるはずがない。女性の人権が不当に侵害されているというのは、はるか昔のことである。むしろ男性の方が、生きづらい世の中になってきたことを、どうして「朝日新聞」の記者たちは理解できないのだろうか。朝日新聞の一般読者の「声」欄というものがある。この投稿は、他の新聞社の投書欄と違って、「朝日新聞」の読者であり、物言う自分を「良識的市民」と勘違いされている方々が大半である。私が、許せないのは、この「良識市民」の言われる人間たちの能天気さだ。彼らは、「朝日新聞」の記事を要約しただけの、安っぽい「政権批判」に終始しているだけで、何の創造性もない。特に酷いのは、「選択的夫婦別姓」に賛成する投書のレベルの低さ。「女性の自立」「手続き的な問題」など掘り下げが、あまりにも浅く、自分の頭で考え、書いた投稿など全くない。謂わば、「朝日新聞」の投書「声」欄は、朝日新聞と「良識的市民」の方々のハーモニーで構成されている訳だ。私は、そこに、違和感を感じてならない。