孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

「モテ基準」の変化 大人の男より「チャラい」「ええかっこしい」の男が好まれるようになった その原因は何なのだろうか?

「モテ基準」の変化が、バブルの頃から始まって、現在に至っている。これは、常々私が、考えていることだ。バブル景気の前の、1970年代までは、男臭い男や、知性のある男が女にモテた。しかし、学園闘争が終焉して、若者たちが、消費文化にどっぷり浸かり始めると同時に、恋愛事情も大きく変わり始めた。田中康夫が、「何となく、クリスタル」という小説を書いたが、あの小説ほど、1980年代の雰囲気を見事に体現しているものはないと思う。団塊の世代は、革新的であるように見えるが、実際は保守的ではないだろうか。まず、「貞操観念」という言葉がある。こんな時代錯誤の言葉を口にすると笑われるが、「女性が結婚するまで、処女であるべき」といった観念が、団塊の世代ともう少し後の「しらけ世代」の女性にはあった。また、自分の妻のことを「うちの家内」と言うのは、団塊の世代くらいまでだろうか。いや、もう少し後の世代の男でも、自分の妻の事を「家内」と呼んでいることもある。しかしごくまれで、現代では、「うちの嫁」とか「うちの奥さん」が大半ではないだろうか。私は、「うちの家内」と呼んでいる男を見ると、うらやましく感じる。それだけに、深い情愛で結ばれている証だからだ。しかし、フェミニストたちは、「女は、男の所有物なのか?」と激怒するだろう。「家内」と言う言葉を使う男が減少したことは、「モテ基準」の変化や男性の女性化が関連しているように思えてならない。かつては、女をリードしていく、逞しい男、良い意味での精神的「マッチョ」な男が女に好まれた。しかし、バブル景気で世の中が浮かれ始めた頃から、女が、一緒に道を歩いても、恥ずかしくない「見映えの良い」「かわいい感じ」つまり中性的な顔の男が好まれるようになった。高倉健菅原文太、といった「東映やくざ映画的」な顔は、女から敬遠されるようになった。ますますその傾向が強くなるばかりで、最近は、「本当にくだらない男」がモテるようになった。昔の芸能界では、大女優は、ブサイクな男と敢えて結婚するのかと思えるほどに、信じられないカップルがあった。例を挙げれば枚挙に暇がない。しかし、最近の女優は、ただの演技力のない「イケメン俳優」を選ぶようになった。新聞の俳句の投稿か何かで、「芋焼酎」のような男が好きという趣旨の俳句を見かけた。「芋焼酎」のような男。意味としては、「温かく」「人間味のある」男の事だろう。「芋焼酎」のような男がモテない時代というのは薄っぺらいものだと思う。