孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

能ある鷹は爪を隠す 成功をひけらかことほど 野暮なことはない 「本物」の人間はもはや絶滅危惧にあるように思えてならない

各分野で、成功する人を見ていると、私のような凡人と違い、やはり「才能があるなぁ」と感心することが多い。しかし、最近の傾向として、自分の「成功の哲学」をひけらかす人があまりにも多くなった気がしてならない。出版社も、そうした成功者に本を書くことを打診する。何故なら、書籍が売れなくなったとはいえ、成功者の「ハウツー本」が、ベストセラーになるからだ。成功者も、本を書けば、必ず売れて、お金が入ってくると同時に、ますます知名度が高くなる。読者と、書き手と、出版社が一体となって、くだらない「ハウツー本」を社会に流通させているように思えてならない。また、成功しているとは言い難い者でも、SNS上で、自信の自慢をやたら流布させる手合いも増加してきた。誰もが、私生活を万人に公開できることは良いことであるが、その一方で、中身の伴わない事を他人にひけらかして、自己満足している。「日本人の美徳」などと、復古主義的なことは大嫌いであるが、昔の人たちは、現代人よりもはるかに謙虚であった。何十年も前に、中野孝次と言う作家が、「清貧の思想」を書き、話題になった。貧しくて、無名でありながらも、矜持を持った人たちが有名であるか、無名であるかを問わず、かつては存在した。中野孝次は、戦中派の人間で、リベラルな思想を持つ。貧困でありながら、苦学して、東京大学を卒業して、大学教授をしながら作家活動を続けた。その中野孝次が「清貧の思想」を書いたのは、バブル景気に浮かれて、人間として大切なものを忘れた日本人に対する怒りや戒めがあったのではないだろうか。SNSが進歩して、「テレビ」を見なくなったと言われるが、大間違いである。Twitterでも、話題になることは、「テレビの話題」が主である。そのためか、「テレビ」に出る人間は、どうしても、思い上がり、天狗になっている人が大半である。特に、「テレビ」のイメージと私生活が大きく乖離している場合が多い。「テレビ」のイメージでは良い人そうに見えるが、実際には、傲岸不遜という、裏表があるという噂を聞くことがある。成功すれば、周囲から、ちやほやされる。そのためか、初心を忘れて、人間が変わってしまう。成功しても、しなくとも、何一つ変わることなく、淡々と自分の美学を貫く人に、私は憧れてならない。