孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

中島みゆきの「ファイト!」ではないが 闘う君の唄を闘わない奴等が笑う 真面目に生きようとする人間を馬鹿にする社会に何時からなったのだろうか?

 

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https://j-lyric.net/artist/a000701/l000dd8.html

中島みゆきの歌に「ファイト!」と言う歌がある。この歌は、元々中島みゆきが、「オールナイトニッポン」を担当していた時に、リスナーから届いた手紙をもとにして作った。そのリスナーは、高校へ生きたかったが、家庭の事情で進学を諦めざるを得なくて、就職して、悔しい想いをした。そのエピソードから、名曲が生まれた。それにしても、中島みゆきの想像力は天才的であると思う。このリスナーのエピソードだけでは、歌には到底できない。1つのエピソードを元に、物語性のある歌詞を書いてしまうのは、驚異的である。「ファイト!」は、全体的に悲壮感に満ちている。負け犬の恨み節みたいな所があるが、よくよく聞けば、自分の置かれた状況を受け止めて、前向きに生きようとする者に対する「応援歌」でもあるような気がする。中島みゆきの初期の頃の歌は、どこか被害妄想的な部分があるのは、自らの病んだ心を歌うことによって、治癒させようとしたからではないだろうか。最近の社会を見ていると、「真面目」に生きようとする人間を馬鹿にする風潮があるように思えてならない。「真面目」であることが、「ダサい」という考えが、若者たちにコンセンサスとして共有されている。「真面目」であるよりも、「要領の良さ」「外面だけの格好良さ」が重宝される。おそらく、何事も「効率優先主義」を求める新自由主義的な思想と、「ルッキズム」がそうした風潮を加速させているのではないかと、私は思う。かつての日本人は、「真面目」だけが取り柄の人間を尊重した。それゆえに、職場においても、仕事が出来ず、他の社員よりも能力的に劣っていても、「真面目」にコツコツ働く人間を切り捨てるようなことは、あまりなかった。しかし、要領が良く、ズルい人間だけが得をするようになった。「真面目」で真剣に生きようとする人間が、社会の隅に追いやられていく時代に、中島みゆきの「ファイト!」は、現代人が忘れてしまった大切な何かを問いかけているような気がしてならない。