孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

「世の中が悪いんだ」 「社会が悪いんだ」という 正義感に燃える主人公のテレビドラマが消えた 作り手も視る方も「理不尽な事」に対して怒らなくなった

テレビが本当に下らなくなった。どのチャンネルも回しても、吉本芸人が、同じようなネタを繰り返しているか、演技の下手な人間が主役のドラマばかりで、鑑賞に耐えうる大人が見る番組が皆無になった。再放送のドラマですら、90年代ぐらいの作品しかなくて、70年代の名作を流さない。何故、これほどテレビの質が低下したのだろうか。私が思うに、作り手に激しい「パッション」が無くなったからである。1970年代の反社会的ドラマには、作り手に激しい正義感のようなものがあった。また、映画産業が斜陽になって、大手映画会社において、社員が「テレビ制作部門」に回されるという理不尽な人事配置があった。例えば、東映映画株式会社。「チャンバラ」「任侠映画」「実録やくざ映画」が大ヒットしたが、1980年代に突入にして、観客が激減し始めた。その背景には、東映が制作する「男くさい映画」が受け入れられないようになったからである。映画からテレビやⅤシネマといった作品に力を入れ始める。また、映画に携わっていた社員や監督を「テレビ部門」に回すという理不尽な人事配置も行われるようになった。特に、東映株式会社は、労働組合が強いため、社内では強い反発が生じた。「特捜最前線」という刑事ドラマがあった。「特捜最前線」は、刑事ドラマでありながら、何故か「反社会的」な匂いのする作風である。社会の理不尽さに翻弄されて、犯罪を犯さざるを得ない人たちの哀しみを描くと同時に、主人公の刑事たちが非常に人情味があり、大人のドラマを織りなした。特に大滝秀治が演じる老刑事は、印象深かった。大滝秀治さんは、「特捜最前線」で世の中に知れ渡ることになった。52歳になるまで売れずに、辛苦をなめた大滝秀治さんの人間としての幅が滲み出ていた。「特捜最前線」の制作陣は、東映映画株式会社の組合員が多かったり、監督も、映画を撮ったことがなく、テレビで初監督といった面々が多い。必然的に「反社会的」な作風になる。1970年代は、政治の季節で、テレビ界もその影響を受けた。「必殺シリーズ」の名プロデューサーの山内久司氏は、「お荷物小荷物」「天皇の世紀」など社会派のドラマを制作した。そうした経験が後の「必殺シリーズ」へとつながることになる。「ドラマ」の作り手に真剣さが無くなってきた。「ジャニーズ事務」や大手「芸能プロダクション」所属に忖度して、演技の下手であるが、知名度の高いタレントを「ドラマ」の主役に起用する。また視る方も、質の高い「ドラマ」を求めなくなった。何よりも社会全体が、理不尽な事に怒らなくなった。ただ、自分の私生活が充実していれば良く、他人の事などどうでも良いと、自己満足して生きている。そうした風潮では、「ラディカル」なテレビドラマはもう生まれてこないだろう。