孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

「ブログ」で話を盛ってまで 「自己承認」されたいのかと 甚だ疑問に感じる それにしても「プロの物書きは凄い才能だと」思う

ブログで、自己の承認欲求を満たす目的で書くと、どうしても、「話を盛って」書いているケースが非常に多い気がしてならない。そういうのを見ていると、そこまでして、他人の顔色を窺わなければならないのかと感じてしまう。人間の本能である「承認欲求」というものは、恐ろしいもので、日常生活の域を超えて、ブログのような趣味の領域にまで表れるのかと考えると、戦慄してしまう。人間は、他者との関係を断っては絶対生きられない。しかし、「孤独」を敢えて選び生きている人たちも少なからずいる。ホームレスの方や、刑務所に入ったり、出たりする「累系犯罪者」。そして、もう一つは、作家だ。「ホームレス」も十把一絡げに出来ない時代になった。「ホープレス」と呼ばれる人たちも増加し始めた。「ホープレス」日本語としては、希望を失った人たち、未来の展望を抱けずに絶望している人たちを意味する。従来の「ホームレス」の場合は、自らの意思で路上生活を選択している方々が非常に多い。「生活保護受給」を断ってまで、路上生活を続ける人たちは、よほど社会に対して、人間に対して「不信感」を持っているのだと思う。刑務所を居場所にする「累系犯罪者」には、知的障害や精神障害を持った人がかなりの数存在する。彼らは、社会の中で居場所がないため、窃盗どころか、無銭飲食といった軽微な犯罪を繰り返して、逮捕される。このように「孤独」にある人たちの中で、私が最も関心があるのは、「作家」だ。文章を書くことを生業にしている人は星の数ほど居る。しかし、一流の作家と呼ばれる人は、ごくわずかであり、さらに「直木賞」「芥川賞」その他の「文学賞」を受賞するものは、選ばれし人たちである。最近の作家の文章を読んでいると、作風と文体があまりにも軽い。その反対で、昔の作家は、全てが重厚で、人生の深淵を感じさせる。どちらが良い悪いを決めることは出来ないが、私は、重厚な作品が好きである。太宰治芥川龍之介といった作家までさかのぼる必要はない。松下竜一という作家がいた。「豆腐屋の四季」という著書で有名になったが、地方で暮らしながら、社会問題に関心を持ち、様々な活動をされた。貧困ゆえに、大学進学を断念し、家業を継がなければならなかった無念さが、「豆腐屋の四季」にストレートに体現されている。その後、松下竜一の作風は変化し続けるが、根底にあるのは「人間存在へのやさしさ」である。私は、作家という職種に憧れる。「孤独の中」からほとばしる情念を、文章で表現して、世間の人に、たたきつけることほど、「カタルシス」はないと思う。「話を盛って」くだらない文章を書く素人とは、生きている世界が違うと思えてならない。