孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

「負けた」と思い込む 本当は「勝っている」こともある 逆に「勝った」と勘違いして、「負けている」こともある 「勝利」のジャッジは難しいと思う

私は、「勝ち負け」に異常なまでに固執してしまう。現在の私は、明らかに人生の敗北者である。しかし、最近色々な本を読んだり、思索を深めているうちに、そう簡単に「勝ち負け」を決めることは出来ないと思い始めた。2000年代初頭に堀江貴文こと「ホリエモン」が出始めた時に、「勝ち組」「負け組」という言葉が浸透した。今は、「死語」となっているが。若者たちは、堀江貴文を神格化して、「勝ち組」の代表の権化のように崇拝した。それと同時期にひきこもりやニートという存在がクローズアップされて、社会問題となり始めた。ひきこもりは、あらゆる点で「負けた」と思い込むことで、社会から撤退して、自らの殻の中に閉じこもる。「スクールカースト」で言えば、ひきこもりは最下層にランク付けされているというのが世間に一般認識である。しかし、私は、ひきこもり=「スクールカーストの最下層」という公式は成り立たないと思う。「スクールカーストの最下層」であっても、真面目に働いている場合の方が多いのではないだろうか。ひきこもりが、働かないのは、過剰なまでの「プライド」と「自尊心」が傷つけられることを回避するからではないだろうか。ひきこもり問題に話がそれたが。私が言う「勝ち負け」は、もう少し違う次元の話である。地位や名声を得ても、本当に幸せではない人もいる。逆に、最底辺の生活を送っていても「幸せである」と確信している人もいる。地位や名声を得ても、私生活が不幸で無念の裡に死んでいく人が存在する。たいていの場合は、あり余るお金を巡っての近親の間での醜い争いであったりする。守銭奴となるのは、決してきれいな生き方ではないように思えてならない。ただ、お金がないと「不自由」なのが現代社会であるが、その点をどのように乗り越えていくかが大きな課題である。私が好きな言葉に色川武大の「9勝六敗」という名言がある。色川武大は、「麻雀小説」を書いて一世を風靡した阿佐田哲也の別名義である。阿佐田哲也は、「麻雀」を通して、「人生の勝負」について論じたが、非常に学ぶべき所が多い。「全勝し続ける」よりも、「9勝六敗」が「勝負事」においてはベストであると。人生の機微に触れた名言である。私の人生は、今の所「全敗」であるが、「9勝六敗」を目指して生きていこうと思う。