孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

全ての者に裏切られても 人は生きていけるか? 自殺するか気が狂うかが普通の反応である 私も「図太く生きていける自信」がない

仏教関係の本を読んで印象に残っているのだが、その本の名前を忘れてしまった。確か、「全ての者」に裏切られて、世捨て人として生きる人たちの存在を、仏教的に解説したような内容であったと思う。昔は、全ての者に裏切られて、世を捨てて、各地を遍歴する人たちがいた。四国遍路もその最たるものであろう。今では、「四国遍路」は、老若男女を問わず、「自分自身を見つめ直す機会」として人気がある。しかし、かつては、ハンセン病を患った人や世間に裏切られた人の居場所であった。現代では、そうした居場所のようなものがないように思う。だから、人は、心の病気を患い自殺をするか、自暴自棄になって他者を巻き込む「無差別殺人」に駆り立てるのではないだろうか。人間は、「他者との関係」無くしては、生きていけないものである。「他者の存在」を欠いた人たちが、「ひきこもり」である。ひきこもりは、社会から撤退して、自らの殻に閉じこむのは、「他者」が怖いからである。「ひきこもり問題」で一番厄介なのは、「いじめの外傷経験」が「トラウマ化」しているケースである。「いじめの外傷経験」ほど厄介なものはないだろう。特に最近の子供たちの「いじめ」は、極めて陰湿で、巧妙である。いじめられた子供は、一生をその傷を抱えて生きていかなければならない。本来であれば、そのトラウマを取り除くのが、精神科医の役割であるが、全く「治療プログラム」のようなものが確立していないのが現状である。精神科医などという職業は、DSM5という診断基準で適当に診断名を付けるだけ。患者の苦悩を受け止めて、寄り添うことなどは絶対にしない。人生経験の浅い臨床心理士に話を聞くことを押し付けて、投薬治療のみ。これでは、日本の精神医療が進歩するはずがない。「ひきこもり」のみならず、現代は、「人に冷たい社会」である。「エゴ」丸出しで、自分にとって都合の悪い人間を蹴落としていくのが当たり前。もう少し前であれば、「ダメな人間」「要領の悪い人間」に対して寛大であったはずだ。いつの頃から、そんな残酷な「サバイバル社会」になったのだろうか。「他者」から見放され、そのうえ血の引いた「家族」にまで裏切られ時に、人は、「アイデンティティ」を失わず平然といられるだろうか。私にはその自信がない。