孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

「先祖の因縁」で人生が不幸とういうことは絶対に否定できない 新興宗教の手口ではなく、実際に目に見えない何かがあると思う

統一教会」にしろ新興宗教が、「先祖の因縁」という常套句で、勧誘をして、人を騙し、高額の金銭を巻き上げるということは、既成の事実である。例えば、「先祖の因縁」が悪く影響しているから、除霊をするために、高額の壺を買わす。統一教会では、そういったことで、信者を不安に陥れていた。また、ある民間宗教では、特別な水を飲めば、癌や難病が治ると煽り、水を購入させるといったこともある。その民間宗教の指導者が、霊感を持っていて、水に不思議な力を注入しているという理由で、信者は有難く多額の金銭を払って購入する。傍から見たら、馬鹿な話であるように感じられるが、不幸のどん底にある人たちは、藁にもすがる思いである。私自身も、祖母の影響から、そういった目に見えない「スピリチュアル」なものに関心がある。だからと言って、ある特定の宗教を信仰している訳ではない。以前にも書いたが、何人かの「拝み屋さん」あるいは「霊能者」に自身の人生について占ってもらった経験がある。そして、全員に最悪の事を言われて、何一つ喜ばしいことを言われずに、失望して立ち直れない状態にある。よほど、「ついていない人生」を背負わされたのではないかと思えてならない。私だけでなく、世の中には、何故それほど、予期せぬ「不幸」「人生のアクシデント」に見舞われなければならないのか。そういう人たちが、少なからず存在する。真面目で性格も良い人ほどそういうケースが多い。私は、やはり「自分の力ではどうすることもできない何か」が人生の運不運を大きく左右しているように思えてならないのだ。それが、「先祖の因縁」であったりするのではないだろうか。おそらく、平凡な日常を送ってきた人たち、あるいは、「スピリチュアル」なものに全く関心がない人には、想像だにできない「世界」であろうが。自分の人生が上手くいかないのを「先祖の因縁」のせいにするのは、「自分の人生から逃げている」といった正論が返ってくるだろう。しかし、信じられない不幸やアクシデントに見舞われた時、たとえ気丈な人であっても、押しつぶされて、人生を放棄してしまう。やはり、私は、人生において、抗うことができない「先祖の因縁」といったものがあると思う。