孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

「幸せ不幸せ」は他人が決めることではない しかし明らかに「不幸な人生」もある 私は奈落の底に向かっているように思えてならない

人間の人生は、他人がとやかく言えるほど単純なものではない。テレビのドキュメンタリーなどを見ていると、作り手が、波乱万丈の人生を送った人間を取り上げる時に、答えは、視聴者の受け止め方にあるという手法を取ることが多い。難病で苦しんで、夭折した人間や重度の障害を持った人間の生き方をクローズアップした番組を見ると、どうも、私は、作り手の意図を無理矢理押しつけられている気がしてならないのだ。不幸であるが、「与えられた人生を精一杯に生き抜いた」というテーマが根底にあって、視聴者を無意識に導いている。ドキュメンタリーの手法は、そうしたものに成りがちであるのは仕方がない。しかし、私は、どうしてもうがった物の見方をするために、その種のドキュメンタリーを見て、腹が立つことがある。ドキュメンタリーのように美しくならないのが、「リアルな人生」ではないかと思う。ただ、「自らの不幸」をかなり脚色して、文章にする才能を持った人たちがいる。それが、プロの作家である。私はあまり他人のブログを読まない主義なのだが、「プロの作家」と「ブロガー」の違いは、天と地ほどの差がある。「ブロガー」の文章には、「情念」や「怨念」が行間に全く感じられないことである。ニーチェは「血と格言をもって書く者は、読まれることを望まず、暗誦されることを欲する」と言った。ニーチェのこの言葉は、けだし名言であると思う。「自らの不幸」を血のにじむ思いで書いた文章というものは、やはり読む者の心に響きものである。ブロガーが書いた文章には、そういったものが全くない。「不幸な話」を盛っているので、底が浅く、深みがない。私の人生についていえば、本当に嘘偽りなく、不幸である。それは、霊能者や占い師から、「悪い事しか」言われなかったことを以前に書いたように。何もかもが、不幸。幸せになれないように、人生が仕組まれているかのごとく。しかし、私は、まだ人生を放棄する訳にはいかない。奈落の底に向かって生きているような気がしてならないが、ぎりぎりまで生きてみようと思う次第である。