孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

「人の心は移ろいやすい」 京セラの稲盛和夫氏のように「ポジティブシンキング」にはなれず 猜疑心の強い私は、人を信用しない

「人の心は移ろいやすい」という言葉がある。「徒然草」に出てくるが、現代でも通用する普遍的な言葉だと思う。人間関係において、最初に出会った頃と同じように付き合い続けることができないこともある。それが、裏切りであったり、態度の豹変であったりする。稲盛和夫氏は、「人の心は移ろいやすい」が、「ひとたび固い絆で結ばれると、これほど強いものはない」と語っている。さすが、京セラの会長であり、日本を代表する企業人のお言葉である。稲盛和夫氏は、様々な経営哲学、人間哲学を論じている。しかし、成功した者だけが言えることであって、私たち凡人の心には全く響いてこない。それにもかかわらず、稲盛和夫氏の著作を読む「ビジネスパーソン」が数多くいる。おそらくそういう他人の猿真似をする人間は、絶対に成功しない。「ビジネス」だけでなく、「学問」「文学」「芸術」とあらゆる分野において。成功する人間は、紆余曲折を経て、「自分のスタイル」を確立するものだと思う。どうも最近は、安易な「自己啓発本」が良く売れているのは、思考停止社会の現れではないだろうか。「人の心は移ろいやすい」という言葉をまざまざと感じることがある。私の場合は、子供の頃は、将来を嘱望された優等生であった。しかし、現在の41歳の私は、「社会生活不適王者」でもう誰にも相手にされない境遇にまで、落ちぶれてしまった。そうすると、人間というものは、いかに残酷で冷たいものかを日々感じることが多い。昔は、私に対して好意的であった者が手のひらを返したような態度を取ることがある。被害妄想ではなくて。中には、以前と変わらずに付き合ってくれる温かい人もいるが、ごく少数ではないだろうか。やはり、そうしたことを考えると、私は、基本的に「人間は損得で人づきあいする」生き物ではないかと思っている。社会的に何の地位もない、「社会生活不適応者」の私と付き合うことに、メリットがあるはずがない。「人の不幸は蜜の味」というように、落ちぶれてしまった私を見て喜んでいる不心得者も多い。私は、基本的に人を信用しない。「人はいつ何時裏切るか分からない」という猜疑心が非常に強い。おそらく、幼少時からの人格形成によるものだろう。ただ、どんなに落ちぶれても、昔と変わらずに接してくれる者に対しては、こちらも誠意を示したい。気難しい性格に生まれた私にとって、現代の社会は本当に生きづらい。