孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

「変わらない」ことが一流の人間の証であって 「成人式」などで「自分がイメチェンしたことを自慢する」あるいは、「いちびっている若者」は到底一流にはなれないと思う

成人式が各地で行われた。私は、成人式に行かなかったが、成人式での若者たちのやりとりは、そう昔も今もあまり変わっていないように思えてならない。どういう事かと言うと、自分が、子供の頃と違って、「イメージチェンジ」をしたことを互いに自慢しあう場ではないかということだ。特に、女性にその傾向が強いのではないだろうか。「自分が、都会に出て、美しくなった」と勘違いしている女があまりにも多い。そういう女は、大体が、「田舎者」であって、根っからの都会人ではない。過疎の町の場合は、皆が集まれない事情があったりして、成人式を別の機会にするというケースがある。「自分は、昔の自分ではない。もう田舎者ではなくて、都会人の仲間になった」と勘違いする。思い違い、背伸びをしてしまう。20歳前後の若者にありがちなことである。成人式を報道するニュースの映像を見て目につくのは、馬鹿騒ぎしている連中と距離を置いて、真面目に参加している若者たちの姿である。地味で、控えめに着席している姿を見ると、「何と、大人だなぁ」と思わず感動してしまう。彼らは、妙に落ち着いていて、私なんかよりもはるかに大人であると痛感させられる。「成人式」で、警察に逮捕されることを勲章に思っている馬鹿がいる。何か、わめいたり、騒動を起こし、警察沙汰にすることが、「男の証」であると思いこんでいるみたいだ。「成人式」では、毎年警察官が、駆り出されるが、そうした若者を監視するためである。たとえ逮捕されても、軽い罪にしかならないことを彼らは、知っている。私は、これは、男らしいことではなく、卑怯なことだと思う。逮捕されても、その日に釈放されるようなことを計算するのであれば、何もしない方はよほどましである。「どうせやるなら、懲役刑を食らうぐらいの覚悟で、警察に歯向かっていけ」と、私は言いたい。思うに、一流の人間は、何歳になっても、「変わらない」のではないだろうか。「変わらない」ことというのは、難しいものである。子供の頃から、自分のスタイルを確立していて、社会人になっても、基本のラインは、絶対ぶれない。何かを成し遂げるためには、どんな境遇にあっても、自分を「変えない」という強固な意志を貫き通すことだと、私は思う。