孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

「怒ることが」生きる原動力になっている まるで「ぼやき漫才」のごとく 怒ることができなくなった時に「私はもう終わりかなぁ」と思う

何時の頃からか、笑うことを忘れてしまった。その代わりに、「怒る」ことが私の生活の中で根付いてしまった気がしてならない。テレビを見ていても、くだらない内容に「突っ込み」を入れ、街の中で見かける、非常識な人間に対して腹が立ち、あるいはもっとレベルの高い次元では、政治や社会問題を批判してみたりと。笑うことを忘れてしまったのは、度重なる不運によって、私の生活が以前のようなものではなくなったからだ。元々は、明るい性格なのだが、暗い環境に置かれてしまうと、人間というものは、どうやら笑うことを忘れてしまうようだ。ただ、私は、礼儀正しい方なので、上っ面だけ明るい挨拶をしたりするので、他人からは、「根暗の人間」には映らないようである。挨拶に関しては、高校生の時に空手を習っていて、徹底的にしつけられた。その習慣だけが、幸いなことに残っているのだろう。条件反射的に、礼儀正しい挨拶をするので、初対面の人にとっては、好印象でないだろうか。ぼやき漫才と言えば、人生幸朗生恵幸子の「責任者出てこい」である。私が生まれた年は、1981年。人生幸朗さんが、1982年に亡くなっているから、「リアルタイム」では見たことがない。しかし、再現映像などで見ることが多く、人生幸朗生恵幸子の「ぼやき漫才」は、時代を超えても色あせないぐらいに、面白い。最近の芸人は、テレビに出たがるだけで、「ネタ」をしっかりと考えているとは到底思えない。ただ、喧しく、大声で怒鳴っているだけ。人生幸朗の「ぼやき」には、やさしさが溢れている。お上を風刺する「反骨精神」と庶民感覚が、「上方の芸風」であるのに、そうした笑いを実践できる芸人がいなくなった。私は、「怒る」こと「ぼやく」ことは人間にとって大切なことだと思う。ただ、「怒る」限度を超えてしまうと、犯罪に結びついてしまうことがある。そのことだけは、心がけているつもりだ。私は、不運な人生であるにもかかわらず、かろうじて生きながらえてきたのは、「怒ること」が生きる原動力になっていたからだと思う。これからの人生で、「怒ることができなくなった時」に、私は、再起不能になるのではないかと考えている次第だ。