孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

一見して「野暮」で「ダサイ」男に見えるが 知性と器の大きい「本物」の男になりたい 今の世の中は「見てくれ」だけのくだらない男があまりにも多い

どうも最近の若い男たちを見ていると、関西弁で、「ええかっこしい」の男ばかりになった気がしてならない。所謂、「ハイスペック」と呼ばれる男子も、私から見ると、中身のないくだらない男でしかない。これは、ひがみ根性で言っている訳ではない。一流企業に勤めていても、東京大学を卒業していても、その男の中身は、スカスカということがあまりにも多いからだ。特に、私からすると、「こいつ本当に、東京大学を卒業しているの?」と思う男が目に付くからだ。東京大学に合格するのだから、知能指数と情報処理能力は優れているのだろう。しかし、政治的や社会的な問題についての考察が、あまりにも浅はかで、鋭さに欠くということがある。おそらく、人間に対する洞察力や人生経験の不足が、そうした原因の一つではないだろうか。街を歩いている男も、ただ外見だけを繕って、およそ中身の伴わない者があまりにも多い。最近は、「男らしさ」からの解放を主張する若手論壇人がいる。彼らは、リベラルであるが、完全に「フェミニズム」に迎合したものの考え方をする。たとえば、「非モテ」の問題について、彼らは、「自分が、モテないという自意識やコンプレックスは、男どうしの間でつくられたものであって、そうした重荷から自由になって生きなさい」という主張をする。これは、換言すれば、「非モテは、恋愛と結婚をあきらめなさい。そうすれば、自分らしく生きられるから」と言っているようなものである。フェミニストの大家上野千鶴子が、かつて童貞は、「マスターベーションでもしながら死んでください」というトンデモない差別発言をしたことと実質的に同じことである。「男らしさ」から解放されて、自分らしく生きようと主張する論壇人は、「修正フェミニズム」的な思考に支配されているから、このような「非モテ」に対して冷たいのである。本来であれば、「非モテ」と呼ばれる「恋愛弱者男性」をサポートするのが、リベラルな人間の役割なのに完全に役割を放棄している。それどころか、「フェミニスト」と一緒に「恋愛弱者男性」を差別しているのが現状ではないだろうか。「非モテ」の話に逸れてしまったが。私が言いたいのは、論壇において、あるいは現代社会の「トレンド」に毒されず、自分のスタイルを変えない男の方が、私から見れば、本当に格好良いということだ。残念ながら、そういう本物の男は、女子受けしない。いったい何時からそんな時代になったのだろうか。このままだと、馬鹿な男が闊歩するだけの薄っぺらい社会でお先真っ暗である。