孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

「露悪的」で「変な人」を装っている私 それは「繊細さ」と「傷付きやすい性格」の裏返しであり 人間心理の「防禦反応」でもあると思う

私は、どうも浮世離れした人、あるいは世間知らずの「おめでたい人」と周囲から勘違いされる傾向がある。しかし、実際の私は、真逆であり世間の人が思っているような人間ではないと断言できる。 私自身の生活史を振り返ってみると、非常に複雑な性格である。まず、幼児の頃は、人見知りが激しかった。しかし、3歳の頃に、自宅にお客さんが来訪した折に、急に「お客さん、早く帰ってください」とその来客に向かって直接言ったそうである。このエピソードは、親から聞かされて、私自身は全く覚えていない。この言動を、解釈してみると、おそらくその来客が私にとって気に食わない人間だったとういうことである。「上流階級ぶった人たち」であり、どこか嘘くさいものを3歳の私は感じ取ったのだろう。「三つ子の魂百まで」というように、私の性格は、人に対しての「好き嫌い」は、極端なものである。私は、初対面で、その人間と相性が合うか会わないかを瞬間的に決めてしまう癖がある。この行動パターンを悪いものと指摘されることが多いが、私は、これからも貫き通そうと思う。人の目を見れば大体のことが分かるものである。格闘技ではないが、人を見抜くということも、秒単位いやそれよりももっと短いものではないかと、私は考えている。長く付きってみないとその人間を理解できないという意見もある。しかし、人間の出会いというものは、最初の印象で代替が決まってしまうものである。私は、気に食わない人を必要以上攻撃してしまう悪い癖がある。ただ一つ言えるのは、絶対に「こころのきれいな人」「真面目で純粋な人」「一生懸命に生きている人」などそういう人たちの悪口は、絶対言わないし、言ったことがない。それだけは、断言できる。私が批判するのは、「善人面した悪人」や「卑怯なことをしても平気で生きている不逞の輩」だけである。普通の人間であれば、「そういう人も世の中にはいるよねぇ」で済ますことができるのだが。私にはそれが出来ない。「卑怯な人間」や「善人面した悪人」に私自身が、酷い仕打ち受けた経験があり、その「防禦反応」として必要以上にそうした輩に対して攻撃的になるのだと、私は考えている。これからは、もう少し「キャパシティ」の広い人間になる努力をしていこうと思う。