孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

「人生というドラマ」では誰もが主役になれない テレビドラマに数秒しか映らない役者さんを見て しかし、どん底の中でも「演じ続ける」ことに意味があると思う 

私は、映画やテレビドラマが好きで、趣味の域を超えている。かつては、映画の世界にあこがれたが、夢を断念せざるを得なかった苦い思い出がある。私のような自己主張の強い人間は、「映画業界」には絶対向いていないだろう。しかし、かつてのように日本映画が、花盛りであった頃と違って、映画業界への就職を希望する学生も少なくなったと思う。最近は、時代劇を見ないが、私は、小学校低学年くらいの頃から時代劇を見ていた。時代劇と言えば、東映映画株式会社である。その東映には、大部屋役者と呼ばれる無名に人たちがいる。主に、主人公に斬られるだけで、テレビの画面に数秒しか映らない。斬られた後に、画面が変わり、また斬られるというふうに、何回も登場することがある。何故ならば、大部屋役者の数が少ないから、一人で何回も斬られなければならないのである。また、東映やくざ映画では、主人公が男前で、およそ本物のやくざに見えない。一方、大部屋役者あるいは、もう少しランクの上の役者さんは、本職に間違われるほど、顔が恐ろしい。そうした大部屋役者さんが世間に注目されたことがあった。「探偵ナイトスクープ」で、時代劇で、斬られ役の人を「徹子の部屋」に出演させてやりたいという依頼があった。その役者は、福本清三という。福本清三さんは、一挙に有名になった。福本清三さんをインタビューした書籍もあるほどだ。私は、個人的に小峰隆司さんが、毎日放送の「ドキュメンタリー映像03」という番組で紹介された時に衝撃を受けた。小峰隆司さんを、杉作J太郎氏は、「昆虫のような面相」でありながら、誠実な人柄と評された。まさに、その一言に尽きるだろう。小峰隆司さんは、お世辞にも顔が良いといえない。しかし、時代劇では、斬られ、やくざ映画では、拳銃で撃たれ。画面に数秒しか映らないにもかかわらず、脇役に人生を賭けた。映画界では、主役以外は、人間扱いされない厳しい現実がある。その過酷な映画界で、愚痴もこぼさず、自分の境遇を全うしたことに私は勇気づけられるのだ。人生も同じではないかと。誰もが主役になれないが、自分の与えられた役を懸命に演じ続ければ、それで良いのではないかと思えてならないのだ。