孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

「過酷な人生」を与えられたおかげで 幸せで鈍感な人間にはない「微分的」な「想像力」が身に付いたが 漆黒の闇の中でもがき続ける「二重苦」を背負わされた

私の人生はあまりにも過酷であると思う。何をやっても、上手くいかない。順調良く事が運んでいたさなかに、予期せぬアクシデントに見舞われる。自分のいたらなさや自己の脆弱性を責任転嫁するつもりは毛頭ない。以前、私がスピリチャルなことや「占い」にはまって、霊能者や拝み屋さんから、悪い事だけ言われた趣旨の事を書いた。大方、その霊能者や拝み屋が言っていることは当たっているのだろう。人間には、楽をして生きられる人とどれだけ努力をしても幸せにはなれず、不幸のどん底であえいでいる人の二通りしかない。良く、「幸せは、自分が決めるもの」というようなポジティブシンキングを不幸な人生を送っている人に押し付ける者がいる。これほど、不愉快で腹立たしいことはない。人間の人生はあらかじめ決まっていて、どうあがいても絶望の底から這いあがることはできないものである。幸せに生きている人には、どうもその辺の事が分からないようだ。拝み屋さんや霊能者という人たちは、見えない物が見える特殊な能力を持った人たちである。そういう非科学的なことを一笑に付す人たちが世間の大半ではないだろうか。しかし、私は、自らの人生と真摯に向き合っている人間ほど、そういったスピリチャルなことや占いの虜になってしまうことがあると思う。「オウム真理教」で麻原彰晃に帰依した若者たちは、「高学歴」で「理系の学生」たちであったように。大学院で高度の科学の研究をしていたにもかかわらず、麻原彰晃という不世出の詐欺師に騙されたのは、彼らが、同世代の若者たちよりも「青春期」にありがちなことをごまかして逃げずに対峙していたからではないだろうか。オウム信者の世代より前の世代である「団塊の世代」は、「政治の季節」を生きて、青春を「学園闘争」に捧げることで、壊れやすい自己をかろうじて支えた。バブル世代と「オウム世代」が重なり合うように、「大文字」の正義を信奉することも出来ず、拠り所がない真面目な若者は、空虚な自己を持て余す以外の途はなかった。そんな彷徨う若者にとって、宗教的なこと自己を救済する最後の砦となるのは、ある意味必然であった気がしてならない。私の人生は、これからも苦難の連続で「茨の道」を歩まなければならないだろう。しかし、そのおかげで、幸せに生きている「鈍感」な人には到底分からない「想像力」が豊かになってきた気がしてならない。ただ、その「想像力」が微分的なものであって、自分でも重荷になるほど苦しいものである。「微分的」な想像力は、「創造性」へと結びつくものであるが、紙一重あって非常に危険なものではある。やはり、今日も私は、漆黒の闇の中でもがき続けている。