孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

「人間は自分より不幸な人」を見つけて自己満足あるいは、安心する傾向がある 私はそういう者に絶対になりたくないと思う

人間は、自分より不幸な境遇にいる人を見て自己満足あるいは、安心する生き物であると思う。テレビや本などで、先天的な難病を抱えて生まれてきた障害のある方や余命いくばくもない病気で苦しんでいる人たちを見て、心密かに優越感を抱くものである。「自分は、この人たちよりまだ恵まれている」という思いを持つことによって、自分の不幸を紛らわすという心理機能が間違いなく働く。5年ほど前に、「顔二モマケズ」水野敬也という本が話題になった。この本は、顔にあざがあったりする所謂「ユニークフェイス」と呼ばれる人たちをクローズアップしたものである。この本に登場する人たちは、顔にあざがあったり、人目を惹く顔であったりして、街を歩いていても、罵声を浴びせられたり、酷い差別と偏見の中で生きている。しかし、何一つ恨み事を言わず、前向きに生きている。私は、この当事者たちを取材して本にした著者の水野敬也に対して腹が立って仕方がない。水野敬也は、「ユニークフェイス」を専門に取材してきた作家ではない。主に、「自己啓発本」を中心に書きそこそこ売れている作家である。水野敬也は、ルッキズムと呼ばれる時代だから何を「テーマ」にした本が売れるか、おそらく策を練った。そして、「顔にハンディキャップがある人たち」を取材して、本にしたら売れるのではないかという妙案が思いついた。この本が売れたのは、率直に言って、「顔にコンプレックス」を持っている人が、「顔にハンディキャップがある人」を見て、優越意識を持つからである。苦難を抱えて生きている当事者の悲痛な叫びよりも、奇形な人たちが写った写真の多い本を見て、「自分は、この人たちよりもまだ恵まれている」という意識を持つ。人間のそうした醜い部分があるように思えてならないのだ。最近は、様々な生きづらさを抱えた人の「当事者研究」あるいは「当事者会」なるものがブームである。ひきこもり当事者会であったり、あるいは、発達障害不登校の子供を抱える親の会など。様々な当事者会が存在する。これまで専門家任せであった「医療モデル」を排し、同じような「生きづらさ」を抱えて生きる者たちが集い、対話する。新たな解決策が見いだされて、時には「当事者」の生きる幅が広がる可能性が高い。しかし、諸刃の刃で、「当事者会」でも「他人より優越意識を持つ」という醜い心理が機能することもある。人間は、「自分より不幸な人を見つけて」優越意識を持つことは悲しいかな紛れもない現実である。私は、そうならないように心掛けていこうと思う。