孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

「叫びたし寒満月の割れるほど」 福岡事件 「警察」がでっちあげた無実の罪で死刑を執行された西武雄 石井健治郎を救うために すべてを捧げた僧侶の古川泰龍の無私の精神

 昭和22年5月20日福岡県で、中国人と日本人の2人の男が殺害された所謂「福岡事件」。この事件は、軍服をめぐった「闇取引」が絡んだもので、警察当局は、西武雄を主犯に、石井健治郎を実行犯に、その他の男を含めて計7人を逮捕した。警察が、作った筋書きは、西武雄と石井健治郎が中国人ブローカーとの「闇取引」において、金品を強奪するという「強盗殺人」を計画したというものであった。確かに、石井健治郎は、相手の中国人も拳銃を向けたために、自らの危険を察知して無意識に拳銃を誤射してしまった「正当防衛」であることは、誰の目にも明らかである。この事件が、発生した戦後間もない時代、中国が戦勝国である背景にあって、連合国司令部より裁判に圧力があった。「福岡事件」では被害者の闇ブローカ―が中国人であったため、法廷には、中国人が駆け付けて、「みんな死刑にしてしまえ」という怒号の中で裁判の審理が進められた。そのため、裁判官も事実審理をすることなく、西武雄、石井健治郎を死刑、その他の5名の男たちを懲役刑に処した。「福岡事件」を冤罪と確信して、西武雄、石井健治郎の雪冤のために、活動したのが古川泰龍氏である。古川泰龍氏は、僧侶で刑務所の教誨師であった。最初は、2人の犯行を疑うことがなかったが、調べていくうちに全てが、「警察のでっちあげ」であることに気付く。「福岡事件」が冤罪である何よりの証拠は、西武雄と石井健治郎が事件が発生するまで全く面識がなかったことだ。西武雄は、軍服をめぐる「闇取引」を殺害された日本人から依頼された。その折に相手方の中国人を威嚇するために「拳銃」が必要であると言われた。西武雄は、拳銃を所有していなかった。そこで知人を介して拳銃を所有していた石井健治郎と巡り合うことになる。この経緯の中で、「福岡事件」で共犯とされた男たちがつながってくる。「福岡事件」を題材に「誤殺」という本を書いた今井幹雄氏は、「拳銃入手」を「運命の悪戯」と呼んで、昭和22年5月20日の黄昏、上り貨物列車が博多駅を発車して間もなく、福岡市内の郊外に近い焼け跡で、二発の銃声が、折から通過する列車の轟音の中にこだました時、拳銃を発射した石井健治郎はもとより、その場に居合わせた七人の青年たちが「運命の悪戯」の前に、茫然自失させられてしまったのである。このように、表現している。「福岡事件」が計画的な強盗殺人であれば、拳銃をあらかじめ入手しているはずだ。このような、犯行当日に「拳銃」をそれも頼りない「人づて」で入手することは絶対あり得ない。古川泰龍氏は、仏教界が権力に迎合する中にあって、ひとり雪冤運動に人生のすべてを賭ける。昭和38年には托鉢に出る。しかし、その努力も報われず、昭和50年6月17日に法務当局は、西武雄を突然の死刑に処し、石井健治郎は恩赦となる。「福岡事件」は戦後最初の「死刑冤罪」事件である。現在、古川泰龍氏の息子の古川龍樹氏が「福岡事件」の「雪冤運動」を引き継いでいる。仏教という世界に身を置きながら、口舌の徒が大半の世の中で、西武雄、石井健治郎氏の「無実」を信じ、「雪冤運動」に命を賭した古川泰龍氏の「無私の精神」は決して忘れてはならない。