孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

「杉田水脈の問題発言」で売名行為をした 正義面する本屋 人を見かけで判断して「権力者」にすり寄るトンデモナイ手合い 日本には何時からこのような「似非左翼」が蔓延し始めたのだろうか?本当の左翼に対して失礼だ

2018年に、杉田水脈が、「LGBTには生産性がない」という趣旨の問題発言をして、社会的に話題となった。そもそも、杉田水脈や極右の面々が主張していること自体馬鹿げたことで、いちいち反応していたら相手の術中に陥るだけである。この杉田水脈発言で一番得をしたのが、和歌山にある本屋だ。この本屋は、杉田水脈が、月刊誌「新潮45」でこの発言をしたので、新潮社の本を一時的に取り扱い停止するという「パフォーマンス」を取った。売名行為しか考えられないような「パフォーマンス」を大々的に報道したのが、朝日新聞である。この本屋は、地方都市の一介の本屋にもかかわらず、twitterのフォロワー数が8000以上もある。twitterの中身は、政治的な発言と「サブカル」がメインであるが、自分があたかも「リベラル」の最先端で、他の人間たちは、物事の本質が見えない「浅学非才」と驕り高ぶっているtweetばかりなのである。良く調べてみると、田舎者のくせに、「トレンド」に遅れた人間を小馬鹿にする趣旨のtweetも散見される。「正義面」していながら、人を「見かけ」や「外見」だけで判断する中身のない手合いであるかが分かる。最も許せないのは、地元の和歌山県選出の国会議員と日本一優秀な「和歌山県警」については一切触れないということだ。政権を、遠くから、批判しても、自分たちの身に危険が及ばない。しかし、「和歌山県警」を批判すれば、しっぺ返しが来ることは目に見えている。特に、新古書店で、「古物商の営業許可」は、和歌山県警の許認可が必要である。和歌山県警ほど、腐敗した警察はない。「正義」を主張する本屋であれば、「和歌山県警」こそ批判するべきではないのか。逮捕されるのが怖くて、「自分たちは、左翼の本屋と呼ばれる」とのたまう始末。開いた口が塞がらない。先日、鶴保庸介が、統一教会のイベントに参加していたにもかかわらず、虚偽の報告をしていた。その鶴保庸介に所業について、この本屋は一切言及していなかった。最近、こうした「安全圏から、政治や社会を批判する」だけで自己満足する「似非左翼」が蔓延している気がしてならない。「自分の身を省みず、権力から逮捕されることも厭わない」それが、「本当の左翼」である。この「パフォーマンス」で正義面する本屋には、反吐が出る。