孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

「過剰な記憶力」があるが 活かし切れない私  それが「生きづらさ」の原因となっていると思う

私は、妙に記憶力が良い。人の名前や、顔を直ぐに覚えたり、自分の趣味の領域については、異常なまでにマニアックな知識量を持っている。また、何十年も前のある場面を映像のようにして記憶していることがある。それが喜ばしい事や幸せな思い出であれば良いのだが、自分にとって嫌な事をそのまま再現できるぐらい頭の中に、インプットされているのである。人は、忘却していく生き物のである。悪い出来事に遭遇しても、時と共に忘れ去っていく。反対に良い出来事は、自分の中に取り込んで、幸せな思い出として記憶される。これが、健全な人間の精神機能である。しかし、私は、悪い出来事を何十年経過しても忘れることが出来ず、昨日の事のようにして覚えている。「トラウマ」という精神医学の言葉がある。その人の人生を破綻させるほど、ショッキングな事故やアクシデントを生々しく想起させて、「フラッシュバック」に苦しむような現象のことだと思う。私もある種の「トラウマ」に苛まれて日々を生きているのかもしれない。また、「パニック障害」という病気がある。この病気は、「トラウマ」よりも身近なもので、苦しんでいる人があまりにも多い。芸能人でも、「パニック障害」を告白したり、闘病生活で「芸能活動」を休止する者がいるほどである。どこから見ても、「メンタル」が強そうな人が、「パニック障害」であったりして驚くことがある。芥川賞作家の南木佳士さんは、自らの「パニック障害」の体験をもとに数多くの作品を書いている。南木佳士さんは、お医者さんである。ある日突然、「パニック障害」を患った。かなり症状が酷く、「死の恐怖」や「うつ病」を伴ったものであった。しかし、南木佳士さんは、信州の自然に触れ、徐々に心身の健康を取り戻す。南木佳士さんの小説は、悪く言えば、「ワンパターン」で、発展性が全くない。自身の「阿弥陀仏堂だより」が、映画化された時に、「パニック障害」を患った女医が田舎で暮らし心身の回復をするという筋書きを酷評されたこともある。しかし、南木佳士さんの小説には、やさしさがあるように思えてならない。南木佳士さんが、「パニック障害」になったのは、「過剰な記憶力」が原因ではないかと自身で分析されておられる。まさにその通りだと思う。私も「記憶力」が良いから、その気持ち非常に理解できる。「過剰な記憶力」が裏目に出て生きづらくなっている。良い方向にそれを転換できれば良いのだが、なかなかそれが出来ずに苦しんでいる。