孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

「饒舌さ」は自信のなさの裏返し 何かを成し遂げる人は「沈黙」を守り続けて、最後に行動に出る人の事だと思う

自信過剰で、饒舌な人がいる。そういう人は、自分が、「話術」に長けていると思い込んでいる。確かに、一見して、「トーク力」に優れていて、その人の周囲には、笑いが絶えない。しかし、じっくり観察すると、およそ中身にない事ばかり自慢たらたらと話していることが大半である。現代は、学校教育でも、自己を表現する「プレゼンテーション」のような能力を養う事が、トレンドになってきた。詰め込み教育の弊害から、そうした能力にウエイトが置かれるのはある程度評価できる。しかし、本当の「コミュニケーション能力とは、何なのかと再考するべきではないのかと思えてならない。小手先だけの「トーク力」には、誠意を全く感じない。むしろ、私は、不器用であっても、真剣に何かを他者に訴えようとする人の言葉の方に惹かれてならない。一体何時から、日本人は、饒舌に話すことが好まれるようになったのだろうか。私は、テレビの影響が大きいと思う。80年代には、漫才ブームがあった。しかし、現代と比較して、芸能界においても、「お笑い」は映画やドラマの傍流であった。それが、何時しか「お笑い」が、映画やドラマよりもはるかにメインになってしまった。昨今のM1ブームには閉口してならない。そもそも笑いにランク付けして何の意味があるのだろうか。一般の視聴者が、自分が面白いと感じる「お笑い芸人」を好きになれば良いだけである。「笑いの質」を画一化する必要など全くないと思う。最近の傾向として、「話し方」の極意を説いた自己啓発書、ビジネス書が、常にベストセラーになる。これほど、愚かなことはないだろう。「話し方」は、人それぞれ個性があってこそ意味のあるものではないかと言いたい。それを、わざわざ「成功していると勘違いし、思い上がった人間」が、読者を馬鹿にしたような書き方をした本を読むことは、百害あって一利なしである。また、何かを成し遂げる人は、「重い沈黙」を守り続けて、最後に行動に出るものである。「饒舌さ」は、自身のなさの裏返しでしかない。人が本気になった時は、不必要に話さないのではないかと、私は思う。