孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

人が見落とす些細なことを凝視すれば 一見して人あたりの良い人間の「裏の顔」が見えてくると思う

私は、どうも猜疑心の強い人間である。そのためか、人をなかなか信用できない質である。一見して、皆から好かれて、善人と思われている人ほど、疑って見てしまう癖がある。何故なら、そういう人というのは、他人には見せない、あるいは、ポジションの弱い人にだけは、違う一面を見せていることがあるからだ。世間の人というのは、そういう人が「裏の顔」を持っているとはなかなか思わないような気がしてならない。しかし、私は、そういう人の化けの皮を剥がしたくなる。私が、人を判断する際に重視するのは、日常生活の些細なことである。例えば、コンビニの店員に、偉そうな態度を取っていないか、ホームレスの人に対してどのような態度を取るか、社会的に最底辺の仕事に従事している人にどのように接するかなど、挙げれば、枚挙に暇がないが、共通するのは、「自分の生活していく領域外であるいは、自分の利得が関与しない場面で、自分より立場の弱い人間にどのように接するか」ということに尽きると思う。特に、コンビニの店員に偉そうな態度を取る人間があまりにも多い。私は、大学生の時に大阪の北新地の「某コンビニ店」でアルバイトしていたことがある。北新地といえば、東京では、銀座に該当する。芸能人や大企業の役員らが、飲食する場所で、庶民には敷居が高い所である。ラウンジのママさんなんかも、自分は、芸能人と付き合うような特別な人間と勘違いしていると言ってもよいだろう。私は、コンビニの店員として、要領の悪い人間であった。度々、ミスをしたが、その私の落ち度を必要以上に責め立てる客がかなりいた。ミスをする私も悪い事を認め、百歩譲っても、その「文句のつけ方」「キレ具合」は、常軌を逸していた。おそらく、どこのコンビニでも、そういった「輩の客」は存在するだろう。しかし、北新地の客層のプライドの高さは、目に余るものがあった。自分が面白くないことがあると、「ミスをしたコンビニの店員」を必要以上責め立てて、ストレス解消をしている感じがしてならなかった。その体験からして、「コンビニの店員」にどのように接するかに、その人の「本性」が表れたりするものである。だから、一見して人当りの良い「善人面した人間」でも、所変われば、「裏の顔」が見えてくると思う。