孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

本当の「マイノリティー」や「社会的弱者」の存在が不可視な社会 偽りの「人権意識」ばかりが強調される社会に 私は腹が立って仕方がない

最近、社会を賑わしている同性愛者への人権問題なんかを見ていると、行き過ぎた面を感じてならない。性的マイノリティーを救済することも大事であるが、もっと大切な課題があるのではないだろうか。どうも、本当の社会的弱者の存在が不可視なものに成ってきている感が否めない。生活保護を受給できずに、食べる物もなく、今日明日、死ぬかもしれない人たちが日本にどれだけ存在しているか、声高々に「嘘の人権」を主張する人には分からないに違いない。ホームレスや野宿者の数が減少したと言われる。生活保護を受給させても、ホームレスは、生活が破綻していたり、長年の不摂生な生活によって肉体が極限状態であったりして、孤独死することが多い。生活保護で最低言語のお金を与えてさえすれば良いというのは、あまりにもホームレスの人権を蔑ろにしている。ケースワーカーが、生活保護を受給させてた後の生活もフォローするべきだが、所詮、お役所の人間は、「親方日の丸」の事なかれ主義である。情熱的にホームレスと関わろうという気など毛頭ない。目に余るのは、「選択的夫婦別姓」や「ジェンダー平等」が必要以上に政府が取り組まなくればいけない「最重要課題」のごとく、喧伝されていることだ。特に、酷いのは、「朝日新聞」である。朝日新聞の投書欄の声を私は毎日チェックするのであるが、どれもこれも「朝日新聞」の社説をなぞったもので、自分の言葉で書いていない。「朝日新聞」の「声欄」に投書する人は、社会的地位の高い「良識的市民」が大半である。私の家は、毎日新聞を購読している。毎朝、喫茶店で、「朝日新聞」の「声欄」に投書している人間の名前を憶えて、ネット検索するとヒットすることが多い。それだけ社会的な地位があるということだ。「良識的市民」の方々は、単に政権を批判して、自らの知的虚栄心を満たして、リッチな生活を享受している。「朝日新聞」の「声欄」に絶対掲載されない社会的問題がある。それは、「冤罪事件」と「警察不祥事」の2点だ。現在、無実の罪で何十年も、犯罪者という汚名を着せられて、「再審請求」で争っている人たちが存在する。「袴田事件」の袴田巌さんの再審決定が、3月に下されることになっている。「袴田事件」については別の機会に論じたい。絶対書きたいので、ここでは触れないが。要するに、警察にやってもいない犯罪をしたとして、犯人に仕立て挙げられた無辜の人たちの存在など、「朝日新聞」に投書する「良識的市民」の方々にとっては、どうでも良いのである。本当に社会の理不尽に苦しんでいる人たちの存在が無視されていることに、私は怒りを感じてならない。