孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

「ポスト団塊ジュニア世代」は生きづらい あまりにも不幸な世代である 何故ならば親たち「団塊の世代」が幸せな暮らしを送っている姿を見て育ったからだと思う

世代論で、物事を論じるのは慎重であるべきだと思う。しかし、「ポスト団塊ジュニア世代」は、非常に生きづらいような気がしてならない。先日、社会学者の宮台真司氏を襲撃した無職でひきこもりの男は、1981年生まれの「ポスト団塊ジュニア世代」であった。この容疑者は、「エホバの証人」の信者であり、宗教的なことも関係しているが、やはり生きづらさを抱えていたのではないだろうか。高校時代は、スポーツ万能で、クラスの人気者であったという。しかし、卒業後は、一度も仕事どころかアルバイトすらしたことがなく、図書館に通うなどひきこもり生活を送っていたという。自殺した今、この容疑者から直接に、犯行動機を聞くことが出来ないのが残念である。また、昨年に社会を震撼させた「安倍晋三襲撃事件」の山上徹也被告も、1980年生まれの「ポスト団塊ジュニア世代」である。彼らは、事件を起こした人間であるが、一般的に他の「ポスト団塊ジュニア世代」も他の世代と違って、不利な条件で生きていると私は思えてならないのだ。その原因は、やはり彼らの親たち「団塊の世代」は非常に得をしているとである。「団塊の世代」は、自分たちの親と違って、「古い家制度」に縛られることなく、家庭を築いた。恋愛結婚が主であるが、会社の上司の紹介といった「社縁」の恩恵によって結婚することができたケースが非常に多いのではないだろうか。「終身雇用制」が当たり前で、入社して、仕事が厳しくとも、会社側も「人材育成」のために、かなり面倒を見た。しかし現代はどうだろうか。「終身雇用制」などは過去のものとなり、「即戦力」が求められて、わざわざ「人材育成」に重きを置く余裕など企業の側にない。「つかえない人間」「仕事ができないと見做された人間」は、切り捨てられていく。本当は、長期的でないと「その人間のポテンシャル」などは分からないものであるはずなのに。私生活では、「結婚」どころか「恋愛」すらできない。「恋愛弱者男性」という烙印を押される。このことについては、また別の機会に論じたい。仕事も、上手くいかない。そうなれば、「自分のアイデンティティ」が脅かせれてしまうのは必然である。希望を奪われ、明日なき未来を生きなければならない者が、鬱屈した感情に苛まれ、自暴自棄になってしまう。こうした問題は、政府の施策では、如何ともし難いと、私は思えてならないのだ。