孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

「人は良い事をしながら悪いことをする」一方「悪い事をしながら良いことをする」 私は後者の一見して悪人であるが善人であるという深みのある人間になりたいと思う

「人は良い事をしながら悪いことをする」一方「悪い事をしながら良いことをする」。このような趣旨の言葉は、作家である池波正太郎が、自身の作品である「仕掛人藤枝梅安」「鬼平犯科帳」や「剣客商売」で、登場人物に頻繁に語らしている。人間の善悪は、そう簡単に決めることができないというものである。特に、仕掛人である藤枝梅安は、昼間は、庶民から親しまれる腕の良い「針医者」であるが、裏の顔は、金で人殺しを請け負う「仕掛人」である。藤枝梅安の生き方は、「悪い事をしながら良い事をする」という二面性がある。池波正太郎の作品は、誰もが知っているように、毎日のようにテレビ時代劇「鬼平犯科帳」「剣客商売」として放送されている。しかし、原作と映像作品の違いが大きすぎるように思えてならない。「映像作品」が、原作を貶めているのである。原作を読み込んでいれば、あのような「安っぽい映像」には決してならない。第一、池波正太郎が、生涯こだわりづづけた「江戸情緒」というものが蔑ろにされ過ぎている点。松竹京都映画の映像へのこだわりは、評価できるが、「原作」は、あんなにウエットではなく、ドライなものである。そもそも、ジプシーキングスの音楽があまりにもミスマッチである。松竹京都映画は、「必殺シリーズ」を制作している会社で、何をやっても、「必殺シリーズ」の物真似になってしまう面が否めない。最近、豊川悦司が主演の映画「藤枝梅安」が公開されているが、これも「原作」とは程遠い。相方の殺し屋である彦次郎を片岡愛之助が演じているが全く重みがない。演技を下手である。豊川悦司が、二面性を持った「殺し屋」を演じるにはあまりにも役不足である。所詮、トレンディドラマの俳優で、演技派ではない。「殺し屋」という業を背負いながら生きている哀しみ、やるせなさという情感を体現するのは、相当の演技力が必要である。あまり注目されていないが、かつて小林桂樹が、「藤枝梅安」を演じたことがあった。相方の彦次郎は、田村高広。このシリーズこそ、原作に最も近いと、私は思っている。小林桂樹は、静謐な中に「殺し屋としての殺気」を見事に表現し得ている。さすが、日本を代表する大俳優だと再認識させられた。池波正太郎は、自らの作品に人生観を投影する言葉を数多く織り込んだ。人間への温かみがあるものばかりで、池波正太郎の本を読むことを勧めたいと思う。最近のテクニックだけで小説を書く「頭でっかちの小説家」とは違い、豊富な人生体験に基づいて表現しているので説得力がある。池波正太郎の「人は良い事をしながら悪いことをする」一方「悪い事をしながら良い事をする」。前者は、善人面しながら裏では、悪い事をしている謂わば「偽善者」である。私は、後者の「悪人のように見えるが、善人である」という深みのある人間になりたいと思う。