孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

何歳になっても 外見も中身もさして変わらない私 「暴れん坊将軍」の将軍様の仮の姿である徳田新之助のようになりたいと思う

私は、今年で42歳になるが、外見がさして20代の頃と変わらない。良く言えば、若く見えて、老けない。しかし、年相応に「成熟していくのが」人間本来の在り方であるとすれば、成熟できていないということになり、恥ずべきことである。私の場合は、20歳代というより、3歳の頃から少しも変わっていないのではないかと思う。「3歳神話説」という精神医学の言葉があるように、人間は、3歳までにおよその人格が形づくられるのではないだろうか。「3歳神話説」を唱える学者は、皆無であるが、私は、今でも説得力のある考え方であると思う。「暴れん坊将軍」というテレビ時代劇がある。松平健が主役で、長きにわたって放送されて、今でも再放送されている。時代劇の王道で、話が、「ワンパターン」なので個人的には好きになれない。私の中では、時代劇と言えば、「必殺シリーズ」しかない。「暴れん坊将軍」の主人公は、徳川吉宗である。その徳川吉宗が、何故か、城を抜け出して、徳田新之助という浪人を名乗って、目組という火消しに出入りする設定である。将軍様が、城を抜け出して、市井の人たちと交流するなどあり得ないことである。徳田新之助は、町民たちから、「新さん、新さん」と呼ばれて、親しまれている。剣の腕は確かで、悪党たちと互角に戦う。「暴れん坊将軍」のハイライトは、徳田新之助が、悪人たちを斬り捨てて行き、最後の悪党の親玉に、「世の顔を忘れたか」と言い、徳川吉宗であると気付かせる所にある。こういったパターンは、「水戸黄門」の印籠と同じものである。もっと言えば、「必殺シリーズ」において、日頃「馬鹿に仕切っていた上司が、同心中村主水が、実は仕置人であったと知る」というシーンが最も、私たち視聴者に「カタルシス」を与える点で共通しているように思えてならない。徳田新之助は、シリーズを重ねても、全然外見が変わらない。これは、演じる松平健の個性による所が非常に大きいのだが。「部屋住み」の浪人で、「新さん、新さん」と言われ愛されている。そして、視聴者にも愛されている。私は、徳田新之助のように「変わらない凄み」を実生活でも発揮したいと思う。