孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

人からウザがられる「熱量」を持っている私  敢えて、他人に合わすことなくこれからも自分流を貫きたい

私は、普段は、おとなしいのであるが、ひょんなことで、感情的になって、性格が激変してしまう。そうした時には、我を忘れて、全身から炎が出るような状態になる。それだけ「熱量」が、普通の人よりも半端ないのであろう。私は、自分の考え方が間違っていないと信じて生きている。そのため、他者の意見を受けいるということがなかなか出来ない。世間の既成概念に対して、常に反発を感じて生きているので、必然と少数派になってしまう。最近は、圧倒的多数の「マジョリティー」に迎合しなければ、隅に追いやられて、肩身の狭い思いをしなければならない社会構造になっている。誰もが、自分の意見を言わない。自分の頭で物事を考えない。おそらく、ネットで何事も検索できる時代になったことが最大の原因である。私は、「アナログ派」なので、わざわざ図書館に行って、資料を集めるのが習慣になっている。図書館は、利用価値のあるところで、何十年も前の本を借りることができる。私は2つの図書館を利用している。1つは、最新式の図書館なので、何十年も前の本であっても、「ネット検索」できる。そして、近くの公民館などに期日に取りに行けば本を15冊借りることができる。もうひとつの図書館は、昔ながらの図書館なので、何十年も前の本は、ネットでは予約できない。直接、図書館司書に頼んで、書庫から出してきてもらうしかない。何十年も前の本であるが、非常にきれいな本もある。私は、そうした何十年も前の本を徹底的に読み込んでいく。傍から見れば、学者でもないのに、「変な人」にしか映らないだろう。しかし、古い資料には、「ウキペディア」に掲載されていないことが書かれているので参考になる。ある事を論じるには、それだけの下準備としての「知識の詰め込み」+「自分なりのセンスと勘」が必要であると私は考えている。私が、他人に対して、攻撃的になるのは、「薄っぺらい知識」と「センスの悪さ」しかないにもかかわらず、得意げに物事を語る姿が不愉快で仕方がないからだ。徹底的に調べて、考え抜いてたうえで「自分の言葉」で語るのではなく、「借り物の言葉」で偉そうに論じる人があまりにも多い。「ブログ」の世界でも同じことが言える。どのブログも、似たり寄ったり。「ひきこもり」ブログであれば、ひきこもりではない「偽ひきこもり」が話を盛って書いているのが見え見えである。私は、他人から「ウザがられても」これからも敢えて「自分流」を貫きたい。