孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

虫の居所が悪かったからキレた 普段は良い人というのは「嘘」だと思う 本物の人間は、どんな時でも態度が変わらない 特に智辯和歌山高校の某「国語教師」よ恥を知れと言いたい

虫の居所が悪かったから、キレた。あるいは、機嫌が悪い時に、面倒な事を言ったので、キレた。そういうふうに、日本人は、寛容な所があると、私は思えてならない。本物の人間は、どんな時でも同じ態度で人に接すると思う。私が人生の中で、一番最初に最悪の体験したことが、キレると生徒に暴力を振るう教師と出会ったことだ。私は、智辯和歌山中学・高校に通っていた。今は、そういう事がないという前提で書く。その当時は、この学校は、管理教育で、子供を有名大学にどれだけ合格させるかだけが目的で、生徒に対して「暴力」を振るう教師がかなり存在した。最も酷かったのは、私が、中学1年生の時の担任になった某「国語教師」だ。この男は、普段は、生徒にゴマをする感じで、笑いを取ったりして、それなりに人気があった。しかし、自分が、気に食わないことがあると、中学生相手に信じられない暴力を振るった。その男は、「俺は、大学の時にボクシングと空手をやっていた」といつも吹聴していた。そのため、暴力を振るう時は、空手の回蹴りみたいなものを披露した。はっきり言って、あれは、「ヘボ」の技であることは、空手経験者であれば誰もが分かるのだが。その男の行為は、「体罰」の域を超えて、明らかな「犯罪行為」である。「暴行罪」か「傷害罪」で立件できるほどのものであった。この国語教師から目を付けられたことが、私の「転落人生」の始まりであったと今も確信している。私は、真面目なのに、この男に蛇蝎のごとく嫌われた。私が持っている純粋さと育ちの良さのようなものが、この男にとって気に食わなかったのであろう。国語の作文では、些末な文法上の間違いをあげつらい、「お前の書いた文章は、日本語になっていない」とクラス全員の前で罵倒した。それ以外にも、数々の私への暴言があった。この教師のしたことは、25年前であるので許されたのである。もし今同じことをしていれば、私立学校といえども、大問題になって、メディアは黙っていないだろう。先日、朝日新聞の地方版に「共通テスト」の日の記事に、この教師が、「生徒が合格するために、キットカットを用意した」という趣旨の記事が掲載された。「朝日新聞」は、どうも私からすれば「嫌な奴」を持ち上げる傾向がある。よほど、感性の鈍い記者ばかりの新聞社なのだろう。おそらく、「暴力国語教師」は、定年近い60歳ぐらいであろうか。まだこの「暴力国語教師」が、智辯和歌山で教鞭を取っていた事実に私は、怒りを通り超して、「世の中の理不尽さ」を感じた。25年前に、自分が機嫌が悪いから、暴力を振るった所業を罰せられずに、ぬくぬくと生きている。世の中は、「必殺仕置人」の世界のように「勧善懲悪」は夢物語であると、痛感した次第だ。